県指定等文化財の概要

1)弓浜絣

弓浜絣
■分類:指定無形文化財(工芸技術)
■指定年月日:昭和53年12月12日

 江戸時代の中期、境港に綿作が移入されてから、この地方の農民は営々と綿作りに励み、幕末には伯州綿として鳥取藩を代表する産業にまで育てあげた。この豊富な綿を使って木綿織りが発達した。主婦達は農作業の片手間に、また家事の合い間に、夜なべで糸をつむぎ、機を織った。木綿織りは農家にとって大切な収入源であった。
 弓浜絣は、単に浜絣ともいわれ、もともと農家の主婦が自家用の衣類として、家族の晴着から仕事着まで、また布団地として、丹念に糸をつむぎ織りあげたもので、そこには家族の幸を祈って、さまざまな吉祥紋が織り込まれてきた。記録をたどれば天保7年(1836)、境港地内では54軒もの紺屋が記されており、弓浜絣の生産が盛んに行われてきたことを物語っている。

■公開状況:―
■所在地:―
■アクセス方法:―

2)庄司家住宅・庭園

■分類:
庄司家住宅…指定文化財(建造物)

庄司家庭園…指定文化財 記念物(名勝)

■指定年月日:
庄司家住宅…令和元年10月23日

庄司家庭園…平成17年11月29日


 庄司家は境港市渡町の中心部に位置し、市道の東側に沿って建つ。当家は、近世には木綿や鉄の取引、近代以降は蚕繭の取引を行うなど、弓ヶ浜地方をはじめとする鳥取県西部の主要主産物を取り扱う商家として栄えた。

 嘉永6年(1853)には、鳥取藩内6商家のみが指定された木綿融通所に指定された。また、鳥取藩への献金により、安政3年(1856)には永代苗字を許され、その直後には藩から鉄山融通会所出銀座役を命じられ、「帯刀御免・宗旨庄屋次席扱い」となっている。

 明治3年(1870)3月25日、鳥取藩主・池田慶徳は同家に宿泊した。この夜、松江藩主・松平定安は子・瑶彩丸を伴って庄司家を訪ねており、両藩主は同家書院の間で会談した。慶応4年(1868)2月に、山陰道鎮撫使を迎えた際、松江藩の危機を救われた礼を述べるための会談であったと伝えられる。

 敷地内には、農村の大商屋の住宅として貴重な天保4年(1833)建築の主屋や、元治元年(1864)に鳥取藩主の休息所として建築された茶座敷のほか、近世後期から近代にかけて建築された後ろ座敷・蔵・前蔵・西蔵・ウマヤ・門などの建物が多数残されている。弓ヶ浜地方において屋敷構えが良好に保存された大規模民家として貴重であることから、鳥取県保護文化財に指定されている。また、当時の地域経済を主導した同家の建物群からは、資本家の成長過程・資本の蓄積過程を連続的にたどることができる。弓ヶ浜地方の社会経済史における特質を象徴する遺構であり、その歴史的価値も評価されている。

 庭園は近世に作られた枯山水庭園で、主屋書院座敷に面する。正面右手に三尊石を配置し、左右に築山と刈込みを配している。前方を広く取って白砂を敷きつめ、川を象徴するとともに、内門の下を潜って玄関前の大海に注ぐ雄大な構想を持つ。また、石橋を渡り築山の後ろを通り茶室に至る、回遊式庭園の特徴がある。

 白砂の中に敷設された飛石の配置は、書院前の駕篭置石の大きさと相まって主景的要素となっており、出雲式庭園の様相を持つ名園である。書院正面にある自然石の立蹲踞は、自然が生み出した芸術品で、江戸時代末期に同家に来遊した文人、田能村直入が、雲龍石とも雲路石とも命名した由来を持つ名石である。また渡廊下一帯には、中国の西湖ゆかりの「トクサ」が群生し、書院表座敷の雨切りに那智黒の石を鱗状に並べてあるのも珍しい。

■公開状況:非公開

■所在地:渡町

■アクセス方法:JR余子駅から約2.7km、徒歩30分


庄司家住宅・庭園[pdf:458KB]

3)絣(弓浜絣:保持者 嶋田悦子)

■分類:指定無形文化財(工芸技術)
■指定年月日:平成17年11月29日

 鳥取県が平成17年に指定した無形文化財の絣は、次の2種類である。一つは、「倉吉絣」。もう一つが、「弓浜絣」である。弓浜絣は、前述のように、境港地内で盛んに生産がおこなわれてきた。
 その弓浜絣を、周囲の協力のもと、機械化に依らず伝統的な手工業で制作し、また、次代の育成を担っているのが、嶋田悦子氏である。
 市内で栽培された良質の浜綿を使い、綿繰り、糸紡ぎ、藍染め、機織り等を含めた様々な工程を人の手で行うことで、丈夫で肌触りがよく、深い色味があり、そして何より、作り手の思いのこもった弓浜絣ができあがるのである。

■公開状況:―
■所在地:竹内町
■アクセス方法:―
 
弓浜絣と嶋田悦子氏[pdf:139KB]

4)弓浜半島のトンド

麦垣町のトンド
■分類:選択文化財 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
■指定年月日:平成23年11月25日

 弓浜半島を中心に、境港市、米子市、西伯郡の一部に広く分布する小正月の火祭り行事。各地区ごとに特色があり、みこし行列が繰り出す古風な習俗を伝える所が多い。境港市域では今でも竹内町と高松町、渡町の下大沢と森岡町では「みこし行列」がある。
 写真は、麦垣町のトンド飾りである。

■公開状況:公開
■所在地:渡町 ほか
■アクセス方法:―


5)竹内町のオコニャ(御講内)

■分類:選択文化財 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
■指定年月日:平成28年4月26日

 「オコナイ」は密教寺院の修正会・修二会と、民間の無病息災・五穀豊穣・大漁満足などを祈る信仰が結びついた行事を指す民俗語彙として用いられる。民間人とのかかわりが深い行事であったため、密教寺院が衰退したあとも民俗行事として定着し、伝承されていったと考えられる。
 竹内町ではこの行事を「オコニャ」と呼んでいる。竹内町(当時は竹内村)開拓の祖である15軒の本家筋(講元)を中心に、それぞれ「モット」と呼ばれる同族組織で講中をつくり、オコニャはこの講中が年ごとに輪番で毎年1月9日に行う。講中はまず前日から大鏡餅や御供物を準備する。当日になると講元の自宅で読経を行い、法要が行われる大同寺本堂へ移動し、法要を行う。この時、講中は住職を先頭とし大鏡餅や御供物を担いで歩いて大同寺まで移動する。法要が終わった後は次の講中へ引き継ぎ、大鏡餅を切り分け講元に配布するというのがオコニャの一連の流れである。それぞれの講元はさらに配布された餅を切り分けて一族に配布し、家族の1年間の安寧と福徳円満を祈願する。
 竹内町では宝暦年間(1751~1764)ころからオコナイが始まったと伝えられており、地元の方々が担い手となって現在まで250年以上も継承されてきた。かつては鳥取県内の他市町村および境港市内の他の町でもよく似た行事が行われていたと記録されているが、現在鳥取県内でオコナイが伝承されているのは竹内町のみである。

■公開状況:―
■所在地:竹内町
■アクセス方法:―


問い合わせ先(Contact)

生涯学習課文化体育係(0859-47-1093)
Lifelong Learning Division Cultural and Physical Education Section (0859-47-1093)