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境港市指定文化財の一覧(4)

22)日御碕神社の地引網絵馬

■分類:有形文化財(民俗)
■指定年月日:平成23年9月1日

  1. <地引網絵図>
 江戸時代から昭和40年頃までにかけ、弓ヶ浜半島では地引網漁が盛んに行われていた。この絵図は、江戸時代末期頃の地引網漁の様子を伝えるもので、朝日が昇る頃に揚げられる網の大漁を期待する人々が生き生きと描かれている。明治36年、後永見網の網中によって神社に奉納された絵馬で、作者は新屋町出身の画家・足立千松と伝えられおり、先人達の暮らしぶりや、当時の漁法などを知ることができる貴重な資料である。

<まぐろ漁絵図>

 昭和7年から11年にかけ、弓ヶ浜半島ではクロマグロが大漁だったといわれている。この絵図は、昭和10年、網主・松本貞造がマグロの大漁を祝って奉納した絵馬で、中野町出身の画家・景山栄治によって描かれたものである。漁師がマグロと格闘する姿が迫力を持って描かれており、地引網絵図と同様、後世に伝えていくべき貴重な作品といえる。


■公開状況:公開(日御碕神社への事前連絡が必要)
■所在地:小篠津町
■アクセス:JR中浜駅下車、徒歩5分
日御碕神社地引網絵馬[pdf:42KB]

23)外江町の才の木

■分類:有形文化財(民俗)
■指定年月日:平成23年9月1日


芝町から外江町へ向かう旧道沿いに「才の木」と呼ばれるエノキ・クスの巨木があり、傍らには「才の木神社」と称する小さな祠と鳥居が置かれている。由来は定かではないが、地元では「才の木さん」と呼ばれて親しまれている。
 江戸時代、村の入口や分かれ道には、村や旅人を守る神として「サイノキ」「サイノカミ」「道祖神」と呼ばれる巨木や祠などが祭られていた。地域によって石像や木製の人形を祭るところもあったが、中でも、樹勢の強いエノキは、生命力が強いことから信仰の対象となることが多かった。信仰の起こりは定かではないが、松尾芭蕉が著した『奥の細道』(1702年刊)には、旅に誘う神として登場している。
 また、村人にとって身近な存在であることから、病気平癒の神、縁結びの神などとしても親しまれてきた。外江町の才の木は耳病を治す神として知られ、地元を中心に熱心な信者を集めている。木の根元には、信者が願いを込めて吊るした椀が飾られており、信仰に託した人々の思いが伝わってくるようだ。以前、このような場所が市内各地にあったが、今ではここ1ヶ所を残すのみとなった。先人達の信仰や暮らしぶりを伝える貴重な場所として、これからも大切にしていきたいものである。

■公開状況:公開
■所在地:外江町
■アクセス:JR上道駅下車、徒歩20分

24)石造常夜灯

■分類:有形文化財(民俗)
■指定年月日:平成23年9月1日


江戸時代、夜道の安全を守るため、街道沿いに石灯籠が置かれた。市内にも数多く設置されたが、現在では、米子へ向かう旧道(境往来)沿いに4基が残されている。いずれも、当時の交通事情や信仰を物語る貴重な資料である。
<花町の常夜灯(1)>
 台場公園の西、旧道沿いに置かれたもので、現在では下部(竿石)のみ残されている。建立は文久3(1863)年で、台場の建設と同時期であることなどから、台場との関連が考えられている。

<花町の常夜灯(2)>
 以前は花町の旧道沿いにあったもので、現在は鼻守神社(台場公園南側)境内に置かれている。建立は文政7(1824)年で、表面には「金毘羅大権現」「天照皇大神宮」など多くの神名が刻まれている。

<竹内町の常夜灯>
 竹内町、旧道沿いにある金毘羅宮境内に置かれている。建立は文政7(1824)年で、当時、神社の信者達が交代で灯明を点したと伝えられている。

<高松町の常夜灯>
 高松町の旧道沿い、阿弥陀堂近くに置かれているもので、建立は文政9(1826)年、高さ2メートルを越す大型のものである。他と同様、表面には各地の神名が刻まれている。


■公開状況:4点とも公開
■所在地:
 花町(1):花町 
 花町(2):花町 鼻守神社境内
 竹内町:竹内町 金毘羅宮境内
 高松町:高松町 阿弥陀堂南西角
■アクセス:
 花町(1・2):JR境港駅下車、徒歩20分
 竹内町:JR余子駅下車、徒歩10分
 高松町:JR高松町駅下車、徒歩5分
石造常夜灯[pdf:604KB]

25)台場公園内の慰霊塔

台場公園忠魂碑
■分類:有形文化財(建造物)
■指定年月日:平成23年9月1日


 
昭和2年8月24日の夜、日本海軍連合艦隊による大演習が美保湾沖で行われた際、巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」が衝突し、「蕨」「葦」の乗組員計120名が犠牲となった。地元住民の協力によって懸命の捜索活動が行われたが、収容された遺体はわずかで、今も多くの兵士が海底に眠っている。この事故は、暗夜、無灯火で行われた激しい訓練が原因といわれ、当時、日本海軍史上最大の事故として世間の注目を集めた。
 事故の翌年、地元・花町の有志が中心となって忠魂碑(戦後に慰霊塔と改称)が建立された。塔はゴシック式を採用し、当時最新技術だった鉄筋コンクリート造で建てられた。頂上には殉職者の遺骨などを安置した納骨室が置かれ、内部には海軍から下付された砲身・機雷等が置かれた。塔の表面には、加藤寛治海軍大将の書による碑銘と、京都帝国大学教授三浦周行博士による碑文が刻まれたが、うち碑銘は、戦後、塔の名称変更に伴い、林敬三統合幕僚会議議長の書によるものに改められた。
事故から80年以上が経過し、当時を知る者も少なくなってきた。事故を後世に伝え、恒久平和を願うための象徴的な場所として、後世に残すべき財産である。

■公開状況:公開
■所在地:花町 台場公園内
■アクセス:JR境港駅下車、徒歩20分

26)正福寺の地獄極楽図

■分類:有形文化財(民俗)
■指定年月日:平成23年9月1日


 仏教では、死後は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の6つの世界(六道)を輪廻するとされているが、仏や菩薩への信仰によってこれらの世界から救われることを民衆に説くため、地獄・極楽などの様相を描いた絵図が各地で作られるようになった。
 正福寺本堂にある「地獄極楽絵図(六道絵図)」もその1種で、地獄絵図3枚・極楽絵図1枚の計4枚で構成されている。うち地獄絵図3枚は1連の絵で、死者が地獄の王によって裁かれていく様子などが描かれており、極楽図には、宮殿や楼閣が聳え、金銀宝石で満ち溢れる理想郷・極楽浄土の様子が描かれている。
 これらの絵図の製作年代・作者などに関する記録は残っていないが、専門家による分析の結果、18世紀頃、仏教絵画を専門とする絵師によって描かれたもので、明治期後半および平成12年の2度にわたって補筆されたことが分かっている。補筆によって、色彩など当初の姿が失われた部分もみられるが、当時の民衆信仰を伝える貴重な資料であることは間違いない。

■公開状況:公開(正福寺への事前連絡が必要)
■所在地:中野町 正福寺内
■アクセス:JR上道駅下車、徒歩10分
正福寺地獄極楽図[pdf:441KB]

27)台場公園の黒松

■分類:天然記念物
■指定年月日:平成23年9月1日


 
市の木である黒松を後世に伝えていくため、市内に残る黒松の象徴として、台場公園内に残る黒松林が文化財として指定された。
(1)連理の松(1本)
 文久年間(1861-63)、台場構築直後に植えられたもので、樹齢は140年以上と考えられている。二股に分かれた枝の一方が他方の幹に食い込んで差し渡しの橋ができていたため、大正の頃から「連理の松」として親しまれていた。しかし、成長によって枝の姿が変化し、現在では四股となって堂々とそびえ立っている。
台場を管理していた鳥取藩士・富山啓蔵によって植えられたと伝えられているが、この松の仲間は昭和57年に松くい虫被害のため7本伐採され、この「連理の松」が唯一の生き残りだといわれている。
(2)皇太子行啓時の記念植樹による松(10本)
 南側土塁上、「連理の松」西側に10本並んで植えられている。明治40年、皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓の際台場に立ち寄られたのを記念して植えられたもので、当初は今より本数も多かったが、松くい虫被害によって相当数が伐採されてしまった。樹齢102年。
(3)境港灯台と慰霊塔の間にある松(1本)
 根元から約1mのところで二股に分かれている巨木で、幹の太さ、樹姿は(2)と類似していることから、明治28年、境港灯台が設けられた際に植樹されたうちの1本ではないかと考えられている。

■公開状況:公開
■所在地:花町 台場公園内
■アクセス:JR境港駅下車、徒歩20分
台場公園の黒松[pdf:69KB]

28)皇の松伝承地

皇の松
■分類:伝承地
■指定年月日:平成23年9月1日


 承久3(1221)年7月、「承久の乱」の結果隠岐国に隠岐への配流が決まった後鳥羽上皇は、安来から船で隠岐へ向かい、途中7月27日に美保関に到着された。その道中、昼食を摂るため浜辺の大松の下に船を寄せられたが、その松の傍らには1軒のカヤ葺きの家があった。ここに住む老人が上皇に「そばもち」を献じたところ、上皇は「天が下おほふ袖だになきものを しばしはゆるせ浜松のかげ」と詠まれたと伝えられている。老人の家には、その時賜った小刀と、御湯を捧げた茶托が伝わっていたという。
 この故事にちなみ、昭和5年、伝承ゆかりの地に上皇の御製を記した歌碑が建てられた。ゆかりの松は弓浜一の大木といわれ、「皇の松」と呼ばれて親しまれていたが、明治30年に枯死した。現在は4代目の松が植えられており、毎年8月、地元住民による「皇の松まつり」が松の下で行われている。地元住民による「皇の松保存会」は、祭のほか、「皇の松踊り」を考案し小学生に指導するなど、伝承を後世に伝えていくための活動に取り組んでいる。
 松の周囲には、歌碑、小祠、皇の松会館(旧上道村役場)が建っているが、碑や小祠は伝承を伝える場所として、会館は児童クラブや伝承保存活動の拠点として地元住民に親しまれている。


■公開状況:公開
■所在地:上道町
■アクセス:JR上道駅下車、徒歩10分

問い合わせ先

生涯学習課文化体育係(0859-47-1093)