協働のまちづくりフォーラム

市民と行政がともに手を携え、築き上げるまちづくりを目指して

   と き   平成16年11月3日(水) 午後2時〜午後5時   

    ところ    境港市文化ホール


   開  

    基調講演
    
       演題「まちづくりはみんなの手で」
            
             講 師  島根大学法文学部助教授  毎熊浩一 氏
   特別報告
          「県地域いきいき活動促進条例案を作成して」
                     島根大学法文学部 4回生 毎熊ゼミ  田中壮一 氏
 
   事例発表
         NPO法人 たすけあい平田  理事長  熊谷美和子 氏

   総括討論
         ○コーディネーター
             島根大学法文学部助教授  毎熊浩一 氏

         ○パネリスト
              NPO法人 未来守りネットワーク 理事長 奥森隆夫 氏
              おはなしポケットの会  代表  足立茂美 氏
              ブルエコ  代表  吉岡二葉 氏
              EMの会  代表  大西勝代 氏
              境港市長  中村勝治


 


○司会 皆様、こんにちは。本日は協働のまちづくりフォーラムにお越しいただき、まことにありがとうございます。私は、本日の進行役を務めさせていただきます地域振興課の沼倉加奈子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 それでは、ただいまよりフォーラムを開会させていただきます。

 初めに、主催者を代表し、境港市長、中村勝治がごあいさつ申し上げます。

○中村市長 皆さん、こんにちは。きょうはあいにくの雷と雨でまだまだお越しの方、少ないようでありますが、きょうの協働のまちづくりフォーラムに参加をいただきまして本当にありがとうございました。また、皆様には、日ごろから市政に対しまして本当に温かい御理解と御協力をいただいておりまして、この席をおかりして厚くお礼を申し上げます。

 きょうのフォーラムのテーマでございますが、まちづくりについてでございます。私はまちづくりというのは、やはり自分たちが住むまちは自分たちでいろいろ考えて自分たちでつくり上げていく、こういうことがまちづくりの原点ではないかと、このように考えているところでございます。

 これまでは、どちらかといいますと行政がある意味では一方的にサービスを提供するという形で市民のニーズにこたえてきたと言えると思いますけれども、これからのまちづくりというのは、やはりこれは行政はもちろんでありますけども、市民活動団体などのいわゆるNPOを初めといたしまして自治会であるとか、社会福祉協議会であるとか、あるいはいろいろなボランティアの団体、そして事業所など、そういうこのまちを構成するすべての皆さんがともに考えてともに協力し合いながらまちづくりを進めていく、こういうことでなければ、本当の意味での自立したまちづくりというのはなかなか実現は難しいのではないかと、このように考えております。

 そのように、市民参画のまちづくりを進めていくためには、これから幾つかの課題が残されております。このことにつきましては後ほどパネルディスカッションで当然話題になると思いますので、そちらの方でお話をさせていただきたい、このように思っておりますけれども、まずは行政運営というものが市民の皆様にとりまして本当に身近でわかりやすいものでなければならない、このように思ってるところでございます。今、協働のまちづくりに向けて指針づくりでありますとか、いろいろ今準備をいたしているところでございます。一生懸命取り組んでいきたいと、このように考えております。

 そして、きょうのフォーラムは、まず島根大学の毎熊先生をお招きをいたしまして「まちづくりはみんなの手で」、このことをテーマに基調講演をお願いすることにいたしております。毎熊先生におかれましては、特に島根県で、県庁を初め各市町村でいろいろな形でまちづくりにかかわってきておられますし、私ども境港市につきましても、職員を対象とした研修会でありますが、協働のまちづくり研修会、こちらの方の講師もお願いをいたしているところでございまして、本市のまちづくりにつきましてもいろいろと御指導をいただいている先生でいらっしゃいます。皆様にとりまして、本当に参考になるお話が聞かせていただけるのではないかと、このように思っております。

 そしてまた、平田市の方で本当に活躍しておられますNPO法人たすけあい平田、熊谷理事長さんもお招きをいたしております。実際の活動例につきまして事例発表をしていただくことといたしております。

 そして最後に、総括討論といたしまして、今、市内で既にいろいろな活動に取り組んでおられる団体の代表者の方、パネリストにお招きをいたしてパネルディスカッションする予定にいたしております。

 きょうのこのフォーラムがきょう御参会の皆様の少しでも参考になりますこと、あるいは動機づけになって、もう一度まちづくりの輪がさらに広がっていくことを願いまして、開会のごあいさつとさせていただきます。本日はよろしくお願いをいたします。

○司会 ありがとうございました。

 それでは、早速会議へと移らせていただきます。

 初めに、基調講演といたしまして、島根大学法文学部助教授、毎熊浩一先生に御講演をいただきます。

 毎熊先生、どうぞ御登壇くださいませ。(拍手)

 毎熊先生を御紹介させていただきます。先生は、1972年に長崎県でお生まれになりました。1995年に九州大学法学部を御卒業になると同時に大学院にお進みになられ、2000年から島根大学で教壇に立っておられます。また、毎熊先生が御担当のゼミではNPOを中心に研究しておられ、島根県のNPOと行政の協働のあり方検討会委員を務められるなど、市民参加のまちづくりに積極的に御活躍です。

 本日の演題は、「まちづくりはみんなの手で」です。それでは、毎熊先生、どうぞよろしくお願いいたします。

○毎熊氏 こんにちは。ただいま紹介いただきました毎熊と申します。どうぞよろしくお願いします。

 きょうは、スライドを使いながらお話をさせていただきたいと思います。ちょっとむだ話からですけども、先ほどプロフィールを御紹介いただきました。1972年生まれっていうふうに言われましたけども、これは間違いではありません。うそだろうと思われた方多分おられると思いますけども、僕はまだ30の前半でして、やっぱりちょっとどよめきがありますが。どうぞよろしくお願いします。

 きょうはパワーポイントっていうこのスライドを使ってお話をさせていただくわけですけれども、ちょっとここのパワーポイント、スライドが赤い色があんまり映らないということで、僕は本当はもみじを基調とした格好いいスライドつくってきたんですけど、もともとね、ただ赤が映んないって聞いてたんで2種類つくってきました。やっぱりもみじバージョンはよくなかったとので、こういうおどろおどろしい感じのスライドになりましたけれども、お許しください。

 それでは、早速中身を入っていきたいと思いますが、まず皆さんにお考えいただきたいことがあります。では、今スライド出しましたけども、例えばある公園があったとして、それをきれいにする、あるいは公園からごみ一つない公園にしようといった場合にだれがその責任を担い得るかということをまず考えていただきたいと思います。授業であればここで大体当てるんですけども、僕から皆さんの顔が全然見えません、真っ黒ですんで当てることはできませんけども、考えていただけたでしょうか。

 恐らく、ひょっとしたらおられないかもしれませんけども、先ほどの市長さんのお話にありましたように、これまでは大体こういう場合にはもう行政に頼もうというふうな答えが多かったんじゃないかと思いますね。ああ、何かごみが落ちていると、よし、行政に電話して拾えと言おうとか、そんな考えが実は多かったんじゃないかなと思うんですけれども、ただこれを改めてこういうふうに聞かれると、恐らく行政だけじゃ無理だろうって思われる方も多いかなと思うんですね。

 そうなんですね、そういうことを実はきょうはお話をしたいということなんです。実は、ある自治体で、一体だれが公園をきれいにすることに責任を負うべきかということを市民参加で調査して、形にした自治体があるんですね。その一例ですけれども、このような結果が出てます。ちょっとぼやけてて見にくいですけれども、ここの数字、今黄色いマークで出ましたけど、これ14.63%という数字が書かれてます。これは上を見ると市っていうふうに書かれてるんですね。つまり公園をきれいにする、その役割を担ってる割合は市は14.63%ぐらいだっていうことを、実はその自治体では市民参加で答えを出したんですね。それに比べて、例えば一番左側ですけれども、これは個人、家庭って書いてあります。これ15.93%って書いてあるんですね。これはもう考えてみればわかりますよね、公園をきれいにするためには、常に行政の職員がおるっていうことはほぼ不可能ですから、個人個人がそもそもごみを捨てなけりゃいいと、これは単純な話ですよね。それがこういう数字になって、実はあらわれてる。ほかにも7つか8つここへ上がってますけども、3番目は、これコミュニティ、町内会って書いてあるんですね。ですから、町内会、自治会、そういった地域の団体が実は公園をきれいにする役割を、ここでは14.26%になってますけども、担ってんじゃないかというのをその自治体が出した。

 つまり、今は公園を例に挙げてますけれども、広くまちづくり全般について、もう行政だけじゃやっぱりまちづくりをよくできないというのが、実は実際のところは皆さんの共通理解としてあるんじゃないかということなんですね。これは別の自治体の話ですけれども、ひょっとして仮に境港でやったとしてもほぼ同じような結論が出るんじゃないかなというふうに思っております。

 ということで、一番最初にこういうことをお話ししたのは、きょうはまさにタイトルがみんなでまちづくり、あるいは協働のまちづくりということですから、まちづくりというのはみんなでやろうよという、そのメッセージをお伝えしたいということなんです。

 きょうお話しすることを3つぐらいにまとめてみるとこのようになるんですね。まず、みんなでまちづくり、あるいは協働のまちづくりというふうに言われてますけれども、そもそも何でみんなで担わなきゃいけないのかっていうことをまた考えてみたいと思います。2つ目は、その「みんな」って一体だれだろうと、だれだろうというと「みんな」なんですけれども、中でも最近注目を集めているNPOというものですね、これについて少しお話をしてみたいというふうに考えております。3つ目としては、みんなで担おうというんだけども、本当にそうなのか、あるいは注意すべきことがあるんじゃないかということで少しお話をしたい、このように考えております。

 まず、1本目ですけれども、何でじゃあみんなでということが必要なのかということですね、何で協働っていうことが必要なのかということですね。協働という言葉ですけれども、これは最近よく使われる言葉で、なかなかわかりづらいという声もよく聞きます。厳密に定義するとややこしいですけれども、とりあえず協働っていう言葉はみんなで協力して一緒にまちづくりしましょうよと、そういうふうな意味としてとりあえずは理解していただければいいと思います。

 何でじゃあその協働が必要なのかということですね。一つは、これも市長さんのお話にありましたように、もう行政には頼れないという現実が実はある。例えばこういうことですね、ちょっと見にくいですけれども、これは境港の財政の状況をあらわす一つのデータです。非常に見えにくいですけど、簡単に言うと数年後には今までの貯金が底をつくと、これは一生懸命行政改革やったって底をつきそうだっていうのがこのデータなんですね。もちろん、きょうはこの財政難っていうのをメーンにお話しすることじゃありませんので、押さえたいことは、行政にはとにかく金がないというのがまず第1点目ですね、金がない。

 ところが、金はないけれども地域にはやっぱりいろんな問題がありますよね。これは境港に限らないことですけれども、例えば、商店街がどうも元気がないなあとか、農業や漁業、その担い手がどうも育ってないなあとか、少子高齢化というような問題もありますね。こういうふうに地域にはいろんな課題があると、でも行政にはそれを担えるだけのお金がどうもなさそうだ、どうしようということなんですね。これはもうみんなでやるしかないなあというようなことになっていく、これが1点目の理由です。

 じゃあ、お金が仮にあったらいいのかっていうことですけども、そうじゃないだろうっていうことが次なんですね、2つ目の理由になりますが。これはタイトル見てもらえばわかりますけども、もともと行政には頼れないような部分があるんじゃないかっていうことなんですね。例えばこういうデータがあるんですね、7年前ぐらいの調査結果でちょっと古いんですけれども、しかもあんまり映りが悪くて見えにくいかと思いますが、これは、住民に行政に対するイメージを聞いたアンケートなんですね。いろいろ上がってます。1位は何か、サービス精神が足りないっていうイメージが一番多いんですね、行政はどうもサービス精神が足りない。第2位は何か、前例や慣習にこだわり過ぎるということですね。よく聞きますよね、前例がありませんので無理ですということですね。3番目に多いのは何か、態度が横柄であるということですね。これを見る限りどうしようもないなっていう気してきますけれども、実はこの文句を言いたいがためにこれを取り上げたわけじゃない。

 もう一つ、実は例があります。これは実際、境港市の市民の方が境港市に意見として出されていたものですけれども、職員の対応が余りにも悪過ぎる、窓口での業務の教育をもっと見直してほしいっていう意見が実際に出されてました。これは境港に限らないことだと思うんですね、やっぱり行政にはこういう批判が非常に多い。ここで行政を悪く言うつもりは別にないんですが。もちろんこれはちゃんとしっかりと改善していかなきゃいけないというのは思うわけです。何でこういう問題が出てくるのかというのを考えていただきたい。もちろん、態度が悪いというのはその人の人格にかかわることがほとんどだと思います。それは、同じ窓口でもにこにこしている人がいたり、そうでない人がいますよね。ですから、これは基本的には人の問題ですが、少し根本に立ち返って考えてみますと、実は行政っていうのは大体そんなもんなんですよね、というと怒られそうですけども、そんなもんなんですね。

 というのは、行政というのはあくまでも全体の奉仕者ですよね、みんなのためにやんなきゃいけない。ですから、だれか例えば本当に困っている人にだけ本当に手厚い保護をするというのは、人としては確かにそうだなあと思うんですけれども、なかなか行政としてはそれはできにくい。というのも、一方でそうやると今度はえこひいきだっていう批判が出やすいわけです。だから、ほかの問題をいろいろそういうふうに行政の根本的な存在理由みたいなところからしようがないなと思うことが結構あるんですね。

 ですから、こういうことなんですね、行政であるがゆえにちょっと不得意だなあとか、サービスに限界があるみたいなところが実はあるんです、行政には。もちろんさっきの態度が悪いというのは、しっかり直せということは必要ですけれども、不得意なところがあるというのはまず押さえておきたいと思うんですね。もう少し別の言葉を使うと、当たり前ですけども行政は万能じゃないということなんですね。ですから、万能じゃない、あるいは不得意な分野があるとすれば、それは得意な人に任せればいいじゃないかというような話に、実はなってくる。これが2つ目の理由なんですね、みんなでやった方がいいっていうこと。

 3つ目の理由ですけれども、これはもう後で詳しくお話ししていきますけども、今まで行政が中心的にやっていたという話が市長さんからはありましたけれども、それが最近になって、いわゆる民の側にも新しい担い手みたいなのがどんどん出てきてるじゃないかっていうことがあるんです。一つは、今変な画像を出しましたけれども、数年前にちょボラってはやりましたよね。これは、僕は最初聞いたときは何かのお菓子の名前だかと思ったんですけども、これちょこっとボランティアでしたっけ、ちょっとボランティアでしたっけ、何かそういうふうな略ですよね。つまり、例えばバスに乗って高齢者の方がおられれば席を譲りましょうとか、そういうちょっとしたボランティアでいいから始めてみませんかっていうのを一時期話題になったわけです。これは、今、新潟の地震がありましたけれども、これが阪神大震災のころにやはりボランティアの活躍というのが注目されたという背景があった。で、そのいわゆるボランティアがこれですね。

 もう一つは、これは島根のあるセンターの写真を持ってきてますけれども、この後ゆっくりお話ししていきますが、いわゆるNPOというものが注目され始めたわけですよ。NPOというのが要はみんなのために、あるいは地域のためになるような活動を担う団体として成長してきたということが背景として上げられる。このNPOについてはまた後でお話をしたいと思います。これが協働の3つ目の理由です。

 最後ですけども、何でじゃあ、みんなでまちづくりする必要があるかっていうのも最後の理由です。これも書いてますけども、実はそれが当たり前じゃないかっていうことなんですね。つまり自治ってよく言います、地方自治って言いますよね、これは書いて字のごとくみずからの手にみずからを治むというふうに書くわけですね。つまり、ここで言うみずからというのは別に行政だけじゃないと、地域の人みんなを指してここでみずからのというふうに本来は言ってたはずなんですね。ですから、地域の人が地域のことを自分たちでやるっていうのは当然じゃないですかっていうのが、実は協働のまちづくりです。最近、協働という言葉が改めて使われ出してますけれども、まちづくりというのはもともとこういうもんじゃないかなというところがあるはずなんですよね。

 少し当たり前の話を続けますけれども、これですね、これ何の写真かおわかりですかね。わからないですよね、うちの娘です。済みません。今1歳9カ月ぐらいになりますけれども、別にうちの娘がかわいくてしようがなくてここに載せてるわけじゃなくて、ちょっと話があるんですね。今、子育てをちょっとやってます。僕がちょっとと言ったのは、少し連れ合いに怒られそうなんで、僕が子育てやってると威張ると、やってないじゃないかと怒られそうなんで、少しちょっとやってると言いましたけども、実はまちづくりというのは子育てに似てるような気がしてきたんですよね。

 どういうことか、これは非常に当たり前のことなんで何だと思われそうですけれども、こういうことです。これはいろんな事情のある家庭があるんで一概には言えないというのはわかってるんですけれども、例えば僕なんかが思ったのは、子育て、まずさっきの娘ですね、やっぱり親が育てたいと思うんですね、自分で育てたい、あるいは自分と連れ合いと一緒になって育てたいとまず思う。これは出発点ですね、まず自分たちでやりたい。けれども、やっぱりどうしようもないときがあります。僕も仕事、連れ合いの方も何か用事があると、そういったときにはしようがないんでおじいちゃん、おばあちゃんに頼みますね、頼んだりする。あるいは、僕はもともと出身九州ですし連れ合いもそうなんで近くにおじいちゃん、おばあちゃんがいないんで、困ったときはお隣さんに頼んだりしますよね。近所の人に、きょうはお願いしますということで頼む。それでも、お隣さんの都合が悪いようなときもある。あるいは、うち連れ合いが今仕事はしてませんけれども、仮に仕事に行くとすれば、やっぱりしようがない、お互い仕事へ行く、そういったときにはやっぱり保育園に預けたりしますよね。まちづくりも実はこういうことじゃないかなというのを思ったんですね、当たり前の話ですよね。

 要はまちづくりというのも、結局のところはまずは自分が住みたいまちにしたいなあという思いがあって、自分で何とかしようとする。それでもできなかったら、例えば家で兄弟、あるいはお父さん、お母さんと一緒になって家の周りの掃除しようじゃないかとか、花を植えようやないかっていうようなことをやる。それでも無理な場合があれば地域でやる、町内会、自治会なんかでやる、あるいはNPOなんかでやるというようなことがある。それでも忙しかったり、何かの都合でできなかった場合に行政に頼むというのが、実は本当の本来の流れじゃないかなと思うんですね。今、行政も含めて実はみんなでということなんでしょうけれども、個人でやるとか、家族でやる、地域でやるといったことが、実はもともとみんなでやろうよという一番最初の出発点にあるべきものじゃないかなということで、ちょっと子育てと似てるなあと思ったんですね。

 ちょっと当たり前過ぎてあれですけれども、もう少しこの同じような話をしたいと思うんですが、実は日本語にももともとそういう言葉があったんじゃないかなという気がしたんですね。例えばこういう話ですね。済みません、これ僕ですね。そろそろ眠くなってきたなという方がおられるかもしれませんので、僕が自分でかいた似顔絵ですね。簡単です、一分でかけます。今、何と僕が言ったかというと、ボランティアという言葉がありますが、これはなかなか日本語の訳がないんですね、いい訳がない。何でだろうなあとよく思うんですが、こういうことじゃないかなと思うんですね。当たり前だった、あるいは当たり前なんだということなんですね。ボランティアというのは、実は少なくとも日本ではそういうことは当たり前にやってきたから、わざわざそういうボランティアという言葉として呼ばなくてもよかったんじゃないかなという気がしてるんですね。

 どういうことかといいますと、こういう言葉が実は昔から日本にありますよね。で、もう一つまたここで出てくるんです、これもうちのまた娘ですね。ここであえて何でうちの娘が出てくるかというのがようやく理由が明らかになるんですけども、彼女の名前はこんな漢字書くんですね、結ぶに心と書きます。これで「ゆこ」と読みます。それはどうでもいいんですけども。この結ぶという字にちょっと注目していただきたいんですね。これは皆さん御存じかと思いますが、「ゆい」と読みますね。「ゆい」という言葉は、日本でもともとお互いに手をかし合うというような意味があったそうですね。だからこそ僕は娘にこういう名前をつけたんですけれども、こういう言葉があった。

 あるいは、同じような言葉で、非常に簡単な言葉ですけども、困ったときはお互いさまという言葉がありますね、こういう言葉がある。

 あるいは少し、あんまり聞かないかもしれませんけどこういう言葉もありますね、「もやい」っていう言葉があります。御存じかもしれませんが、僕は実は九州で育って、これは九州弁と思ってたんですね。というのも、親なんかから、あんたおもやいばせんねって言われるわけです、おもやいばせんねって言われる。どういうことかっていうと、おもやいっていうのは分け合えっていうことなんですね。例えば妹なんかとお菓子なんかを食う、おもやいばするって言われると、お互い一緒に分け合いなさいということなんですね。お互いに助け合うとか、そういうふうな意味も「もやい」にはある。

 もう一つは、こういう言葉がありますね、手間がえとか、あるいは手間返しという言葉もありますね。これもお互いに手をかし合うってというような意味ですよね。これは、実はある講演会で同じような話をしたら、その会場に来られてた方が、毎回その方は講演聞くと川柳を詠まれるらしいんですね。僕の講演の後にも川柳を詠んでいただきました、このように言われてました。「ボランティア、日本古来の手間返し」っていうふうに詠んでもらったんですね。非常にいいなあと思って、これからずっと使おうと思って、早速きょう使ってますけれども。

 このように、やっぱり日本には実はボランティアっていう言葉を使わなくてもお互いに助け合おうというような気持ち、あるいは言葉があって、それが実は当たり前に存在していた。だからこそ、ボランティアという言葉をあんまりいい言葉として、いい日本語に直らないんじゃないかなという、そういう気がしてたんですね。少し話を戻しますと、要はこういう昔からあったような当たり前の感覚というものが今、問われてるんじゃないかというのがここで申し上げたかったことです。

 それじゃあ、また僕が出てきますけども、じゃあ、ずっと言ってきたNPOって何だろうということですね。これは話すと非常に長くなるんですけども、簡単にお話ししていきたいと思いますが、まず事例を一つだけ取り上げたいと思います。本当は幾つか取り上げたいんですけれども、きょうは実際にこの後も熊谷さんの方からお話しいただきますので、簡単に一つだけ、斐伊川クラブさんっていうNPOが島根の方にあります。御存じの方も多いかもしれませんけども、この活動に何回か僕も参加させてもらったことがあるんで少し御紹介したいんですが。

 これは笹巻き交流会というのに参加しました。これは島根の仁多、木次にあって、そこに行って地元の人と笹巻きを一緒につくっていくんですね、こういう活動をやってます。そば打ち交流会というのをやったんですね。これはさっき言った木次、仁多の方に行って一緒にそば打って、地元の人と交流しながら食べるんですね。ちなみに包丁で何か切ってるようなのは僕ですね、どうでもいいですね。ちょっと横に太いんで、写真では少し細くしてみましたけれども、それもどうでもいい話ですね。そばを打ったりしました。もう一つですけども、これもあれです、菜の花まつりというのを斐伊川クラブさんが中心になってやられて、これも木次や仁多へ行って、これもそばを食ったり、てんぷらを食ったり、イノシシ鍋食ったりするんですね。ということで、既におわかりいただけたかと思うんですが、NPOというのは実はこういうふうにおいしい食べ物を食って交流をしようという、そういう団体じゃあもちろんないんですよね。そう思ってもらおうと思ってわざと取り上げたんですが、実は斐伊川クラブさんは、このようにおいしいものを食うというのも実はねらいがあってされてて、次のようなねらいがあるんですね。

 ちょっと見えにくいですけれども、皆さん御存じでしょうか、木次、仁多のあたりに尾原ダムというダムが新しくつくられることになってます。ダムですから巨大な土地が必要になるわけですね。ですから、そこに住んでいた人たちに立ち退いてもらわなきゃいけないこともある。実際に約110戸の世帯、家庭が追い出されるわけですね。そういった人たちの犠牲のもとに実はそのダムがつくられて、だれが恩恵を受けるかというと下流の人たちですね、特に松江市が恩恵を受ける。ところが、松江、下流に住んでる人間はあんまりそういうことを知らないわけです。すると、上流でそういう下流の人たちのために立ち退かざるを得なくなった人たちが余りにもふびんであるというようなこともある。ですから、そういうふうな心のケアというか、下流の人に知ってもらおうみたいなことで、例えば笹巻きであるとかそばなんかを、言葉は悪いですけどもえさにして、下流の人に地元へ行ってもらって交流を深めるというようなことがされてる。あるいは、木次     の尾原ダムの予定地周辺の人たちに、例えば職を少しでも与えることできないかということで、斐伊川クラブさんが提供をしていったり、そういったこともされてる。つまりは、そういう尾原ダム周辺の地域を何とかして活性化しようということを斐伊川くらぶさんがやられてる、そういうことなんですね。

 ということで、1個しか事例見てないんでなかなかわかりづらかったと思いますけれども、その一つだけ取り上げてもこういうことがNPOの特徴として言えるのかなと思うんですね。一つは、困ってる人のためにやるというのがNPOの多くの特徴です。あるいは、広くみんなのため、地域のためということですね。あるいは、こういうふうな見方もできます、当然みんなのためのことですから、これは行政がやっていいんじゃないかっていうふうに思われる方も多いかもしれません。実際そういうとこありますね。ところが、やってるのは一般の民間の方がやられてるんですね。ここが大きな違いですね、公務員ではないということです。

 もう一つですけれども、これは僕の説明が下手なせいでなかなか伝わらなかったかもしれませんが、NPOをやってる方というのは非常に熱い思いを持たれてて、高い使命感を持たれてることが多いですね。時々、うざったいっていうと怒られますけれども、熱過ぎて困るときがありますけども、そういうふうな高い使命感、熱い思いというのを持たれてるのが一つの大きな特徴です。

 このように、事例見てきましたけれども、少しややこしいですが、理論的に見ておきたいというのは次です。NPOというのは、ノンプロフィットオーガニゼーションというのの略なんですね、その頭文字とってNPOなんですが。これ直訳すれば非営利組織ですね。よくわかりませんね。よくわからないので、今5つ上げてますけれども、通常はその要素を上げることが多いんですね。

 1番目ですけども、これはみんなのためになる活動をやっているというのが一つの特徴です。2つ目はこうです、非政府性って書いてますけども、要はさっき言った民間人がやってるということなんですね。3番目はちょっと飛ばしますが、4番目は、自主性、つまり好きだからやっているということですね。5番目、組織性というのは、これもちょっとややこしいとこありますけども、いわゆる組織をちゃんと持ってるということですね。理事会なんかがしっかりある、あるいは事務所を持ってる。そういうようなイメージですが、そこは大体理解できるんですけども、よく誤解されるのは3番目ですね。これ非営利性というふうに書いてます。NPOをそのまま訳しても非営利組織というふうに言いましたけども、実はここが誤解をされやすいとこなんですね。

 非営利というのはどういう意味か、これはお金を稼がないということじゃないんですね。そういう意味じゃあボランティアとは違うということなんですね。ボランティアというのは基本的には無償っていうことですよね、もちろん有償ボランティアっていう言葉はありますけども。基本的には対価をもらわないというのをボランティアと通常言いますけども、NPOは実はお金稼いでもいいんですね。いや、むしろ稼ぐべきだっていう人もおられます。じゃあ何が違うかというと、それだと企業と一緒じゃないかという話ですけども、企業とも違う。これ何が違うかというと、もうけてもいい、けれどももうかったお金を、例えばお金を出してくれた人に配当といった形で返すということはしちゃいけませんよということなんですね。じゃあどうするか、また次の活動につぎ込んでいくということなんですね。お金をもうける、そのもうかったお金をまたそのNPO、みんなのためになるような活動につぎ込んでいくというような活動をすれば稼いでもいいというのがNPOの特徴です。少しややこしいとこがありましたけども、お金を稼いでもいいボランティア団体というぐらいに思ってもらうとひょっとしたらいいかもしれませんというようなことです。

 それで、予定より大分時間が足らなくなってきてるなという、ちょっと焦ってきてますけれども。これちょっと見えにくいですね。先ほど斐伊川クラブさんのお話ししましたけれども、そしてNPOというのは非常に広いというふうに言われてます。斐伊川クラブさんというのはその中でもその一部分なんですね。あの赤の部分、NPO法人というふうに書いてますけれども、斐伊川クラブさんは実はNPO法人と言われるものなんですね。もう一つ言えば、新聞やニュースで最近NPOという言葉をよく聞きますけれども、そういったときに使われてるNPOという言葉は、実はこのNPO法人と言われるものと思われていいと思います。ですから非常に狭い意味で使われてるんですね。

 それじゃあ、NPO法人って何かっていうことなんですが、これはもう簡単に言いますが、数年前に、これちょっとややこしい名前がありますね、特定非営利活動促進法という法律ができました。その法律に基づいて手続を済ませば法人格というのをもらえるんですね。NPO法人というのは、その法律にのっとって手続を経て、法人格を得た団体のことをNPO法人と言ってるわけですね。ですから、先ほど申し上げたNPOというのは非常に広い概念ですけれども、これは法人格を持っていないのも含まれてるんですね。その法人格を持ってないNPOの中でも法人格を持っている団体を限定して、通常はNPO法人と呼んでるということなんですね。

 ところが、また話がややこしくなって恐縮ですけれども、こういうふうに協働のまちづくりとかいう話をするときに、果たしてじゃあ、NPOというものを狭くとらえていいのかっていう話なんですね。もちろんそういう問題提起するわけですから、そうじゃないというのが答えなんですけども。先ほど出した図、全く同じ図です。先ほどは赤のところを見てもらいましたよね、これは斐伊川クラブ、あるいは最近のニュースなんかで使われる場合はこの赤の部分というふうに申し上げましたけれども、協働のまちづくりというのを本当に考えていく場合にはもう少し広くったっていいんじゃないかというのが、今申し上げたいことなんですね。今、緑の部分がありましたけれども、少し広くとらえてNPO法人という法人格を持っていない団体、だからボランティア団体と言われる団体でもいいですね、あるいは市民活動団体と言われるときもあります。そういうふうな団体を少し広くとらえて、簡単に言うと、民間で地域のためになるような活動をしている団体は広くNPOと呼ぼうじゃないかと。NPOと呼ばなくてもいいんですけどね、少なくとも協働のまちづくりの担い手として考えていきましょうよというのがここでのメッセージということになります。

 これは、少しまた時間がなくなってきたんであれですけれども、実は先ほど少し御紹介いただきましたけども、大学で僕はゼミというのを持ってます。ゼミというのは、高校まででいうとクラスみたいなイメージで思ってもらうといいと思うんですけれども、20数人のゼミです。この後、田中君という学生が報告をしてもらいますけれども、ゼミでもいろんな活動をしてます。簡単に言うと、お話ししますように地域と学生を何とか結びつけたいという、そういう活動をしているんですね。そして、地域を何とか活性化させたいなあということがあって、学生と一緒にいろいろやってます。これは当然のことながら法人格を持ってないんですね。ところが、僕らとしてはこれもNPOだと、つまり民間でみんなのためになる活動、あるいは地域のためになる活動をやってるということで、僕らはNPOだというふうに自負をしてるわけですね。この話は、パネルあるいは田中君の話の中で少し出せるかなあと思います。

 それで、先を急ぐようですけれども、じゃあ、何でNPOはこんなに着目されてるのかっていうことですね。これはもう1点目は、行政にはないよさを持ってると。これ例えば、これはもうパネルなんかでお話いただけると思うんですけれども、行政というのはよく硬直的であると言われますね。ところが、NPOは基本的には好きなことをやってます。ですから柔軟であるということがよく言われますね。あるいは、総合的にやる。これは、行政なんかはよく縦割りと言われますね。それと比べてもう、特にNPOだけじゃないですけども、我々の生活というのは別に縦割りじゃないですよね、生活という一つのいわば横割りの感覚でいます。そういう感覚でNPOの活動ができる、そういったことがありますね。ですから、ここの人はあれですけども、これも余計なあれですけど、こういう人出てきて、今NHKの番組をやってますよね、これは堀尾さんですね。ご近所の底力という番組があって、これ好きでたまに見ますけれども、それをかりるんだったら民の底力ですね。つまり、NPOあるいはNPO以外も含めて、いろんな力があるというのがまず1点です。だから、NPOは注目されてるというのがあります。

 もう一つは、自治という言葉を出しましたけども、これはなかなか自治、自分でまちづくりを担おうといっても一人じゃなかなか難しい。そういうときに何か場があるといいですよね、特に同志がいると非常に心強い。NPOなんかはそういう場を、やっぱり提供してくれると言うことができます。

 3番目は、同じようなことですが、これは学生と一緒にボランティアに行ったときの写真ですが、真ん中に写っているのがうちの、もう卒業しましたけどもゼミ生です。ちょっと写りが悪いですけれども、なかなかいかつい顔をしてるんですね。そいつがボランティアに行くと非常に生き生きとした顔をする。彼の顔を見ながら、やっぱりこういう場を、特に若者には用意しなきゃいけないなあなんて強く思ったことがあります。ですから、NPOは、やっぱりそういうふうに参加する人にとっての活躍あるいは生きがいみたいなものを提供してくれるという側面があります。

 もう一つは、もうさっと行きますけども、これです。またこれ見えにくいですが、これは内閣府が調査した結果ですけども、NPOなんかの活動をしてて得られたものは何ですかというようなアンケートなんですね。1位は何か。これ驚くべきことに20代から70代まですべての世代で、さまざまな人とのつながりができたというのが1位なんですね。だから、NPOはよく連帯みたいなものを深めると言いますけれども、まさにこういうふうにデータとして出ている。地域の人と人とのつながりを深めるという効果があるということなんですね。そしたら、まちづくりはこれが実は出発点じゃないかっていうふうに、そういう気もしてるんですね。このように、NPOというのは非常にいいところが多いということで注目を集めてるということが申し上げたかったことです。

 最後のポイントになってきますけれども、みんなというふうに、みんなでまちづくりをしていこうということをずっと言ってきましたが、少し気になることもあるんですね。というのはどういうことか。よく最近の議論、特にNPOとか協働のまちづくりなんかの議論のときに、ある市民といったものが前提とされるんですね。市民というと、例えば境港に住んでる人のことを境港市民という、通常の言葉の用い方がそうですね。ところが、最近の議論でどういうふうな用いられ方をするかっていうと、非常に市民というと特別の意味が込められることが多い。一言で言うと、立派な市民みたいなのが前提にされることが多いんですね。実際に鳥取県のNPO関係の条例があるんですけれども、そのある条文を見てみますと、県民は次のように努めよというような条文があります。抜粋してみますと、県民は自己の役割と責任を自覚せよと、そして自発的にそういうNPO活動なんかをしなさいということが言われてるんですね。何となく、何かうっとうしいですよね、うっとうしいなあと僕なんか思うんですね。でも、こういう市民であれっていうのが最近の議論で多いんです。

 ところが、人生いろいろ、市民もいろいろというふうに書きましたけども、これは別にどこかの首相を皮肉ったわけじゃないんですけども、要は市民というのはやっぱりいろいろだということを出発点にすべきじゃないかというふうに僕なんかは思うんですね。例えば、ある松江市の実際の市民の声としてこういうのがありました。市民活動とは一体何でしょうかと、私は毎日一生懸命働いてます、税金も払ってます、家族も養い守ってます、これ以上何をせよというんですかっていうふうな市民の方がおられました。僕は、これは率直な感覚としてそのとおりだなと思ったんですね。でも、先ほどの鳥取県の条例ありましたけども、立派な市民というのを前提とする人は怒るわけですね。怒ったおじいちゃん出しましたけども、けしからんと、自分のことばっかり言ってるんじゃなくてまちのこともせよっていうふうに、ひょっとしたら怒る人が出てくるかもしれない。それじゃあまずいだろうということなんですね。

 これは、むしろよく言いますよね、太陽政策というのを。そういうふうに説教をしたって、特に僕を含めてと言いたいですが、若い世代というのは、おまえ、立派な市民になれと、地域づくり一生懸命やれというふうに説教したって、恐らくだれも動かない。むしろ、人はいろんな立場がある、あるいはいろんな状況がある。これは学生だってバイトなんかで忙しいわけですね。ですから、大事なことは、副タイトルにもつけましたけれども、その人その人の状況に応じた形で参加ができるような場をやっぱりみんなでつくっていくところが大事だろうと、おまえやれというふうに説教するんじゃなくて、例えば忙しい人であれば月に1回でもいい、ですから例えばこういう場に来てはどうですかというふうな環境を整えていくというのが大事じゃないかというのが申し上げたいことです。

 それと、もう一つですけれども、何かこのように言うと市民はあんまり熱心じゃないよというふうに聞こえるかもしれませんけども、実は少し僕は期待があって、というのはこういうことなんですね。どういう期待かというと、まあみんなで協力しましょうといって、ひょっとしたら本当にみんなやるかいなというふうに懐疑的な方もおられるかもしれませんが、こういう僕は出来事に、あるイベントに参加して思ったことがあったんですね。これはテレビで流れたんで御存じの方おられるかもしれません。

 7月に津和野であるオークションがありました。どういうオークションかというと、吉野屋という古い旅館を再建しようというプロジェクトが動き出したんですね。これに島根県立大学の学生がお手伝いをしよう。どういった形でお手伝いするかというと、この吉野屋の別館が実は余ってるんですね、使われていない。別館を使ってビジネスをしようと、学生が、それで人を呼ぼうじゃないかっていうんです。

 このオークションは、通常オークションっていうと例えば時計を出して、幾らって、1万、2万ということで上げて落札していくような話ですね、そういうのじゃないんですね。例えば、ここに今写ってる学生が彼が何を発表したかちょっと忘れましたけども、例えばある学生はその別館でリメークショップをやりたい。例えば古い着物を仕入れてきて、バックにして売りたい、リメークして売りたい。ところが、その学生は古着、特に着物なんか持っていない。ですからこの場で、私はこういう事業をやりたいんで着物をだれか譲ってくれませんかっていうような呼びかけをするんですね。五、六組学生がそういう発表をするんです。ある学生は、バスを運行したいっていうんで車を下さいという学生がいたんですね。オークションではこのように、今、金という札が上がってますけども、例えばお金ならお金出しますよというのを上げたりする、物なら物を出しますよというのを上げたりするんですね。僕はこの学生のプレゼン聞いて、とても上手だとは言えなかったし、まさか初めて見るような学生に車を出す人なんかいないだろうと思ってたんですね、もともとね。ほかにもいろんなものをくれっていう学生が多かった。ところが、驚いたことに予想外の結果というのはあれですね、今車が出てきましたけども、よっしゃ、車出そうという人も出てきたんですね。ほかにお金を出そうという人も出てきました。着物を送ってやろうっていう人も出てきました。じゃあ、その五、六組の学生が欲しいと言ったものは実はすべて集まったんですね、ほぼすべて集まりました。物すごい驚いたんですね、うそだろうというふうに思ったんですけれども。僕が何と思ったかというと、多分こういうことなんですね、恐らく地域に協力者というのはおるんだということなんですね。

 たまたま津和野ではこういうオークションが開かれたんで、よし、私が車出そうとかいう人が集まってきた、あるいはそういう発言をできる場ができたわけですね。だから、恐らく境港であろうとどこでも、これはもう完全に願望ですけれども、そういうもんだというふうに思いたいということなんですね。今まで、そういう協力の形がもし見えないとすれば、そういう場がなかったんじゃないかと。ですから、こういう場をこのようなオークションの場でもいいと思うんですね、こういうことをやりたいんでだれか協力してくれませんかという発表をする。すると、そこに集まってきた人が、よし、私はお金を出そう、あるいは労力を出そうという人がひょっとしたら出てくるんじゃないかっていう、そういう意味で場をつくりさえすれば協働のまちづくりというのは少しでも進んでいくんじゃないか、少しそういう気も、実は楽観的ですけどもしています。

 実は、最後に、もう一つ学生の活動というのを紹介したかったんですけれども、2時50分までということですので、一たんはここでお話を終えさせていただいて、あとは可能な限りパネルディスカッションのときにまたお話をしたいと思います。

 ちょっと早口でおわかりづらかったかと思いますけれども、ここで一応お話を終わらせたいと思います。どうも失礼しました。ありがとうございました。

○司会 毎熊先生、本当にどうもありがとうございました。

 毎熊先生の協働のまちづくりの進め方について、学生さんの例や島根県の事例など、とてもわかりやすい御説明をいただきました。

 では、皆様、毎熊先生にいま一度大きな拍手をお送りくださいませ。

 先生からも御紹介がございましたが、島根大学法文学部、毎熊ゼミの皆さんは、NPO活動を自治体が支援する条例案、県地域いきいき活動促進条例を島根県に提出されました。この毎熊ゼミを代表して、田中壮一さんにその制作にかかる苦労話などを御報告いただきたいと思います。

 田中壮一さん、よろしくお願いいたします。

○田中氏 皆さん、こんにちは。先ほど紹介していただきました島根大学の学生、田中壮一と申します。きょうはどうぞよろしくお願いします。(拍手)ありがとうございました。

 きょうは条例について話したいんですけど、時間が限られてますので、本当にポイントを押さえるだけという形になりますので、ちょっとわかりにくいかもしれませんけど、そこら辺は御容赦ください。

 この条例案ですけど、先ごろ、9月27日に僕たちのゼミで作成しまして、島根県と島根県議会の方へ提出しました。この内容なんですけど、詳しいポイントについては後ほどお話しするんですけど、内容は、先ほど毎熊先生もありましたけど、みんなでやっていく市民活動を促進する上で地域を構成する主体が、僕ら市民とか、行政とか、NPOの方とか、そういう主体がどういうふうにあるべきか、特に県が市民活動促進に当たってどういうふうな姿勢であるべきかということを打ち出した条例になっています。

 きょうの発表なんですけど、協働のまちづくりフォーラムということで、僕ら学生も一つの地域を構成する主体として地域にこの条例の作成提出という形で積極的に参加したという、そういう経緯で条例を提出しましたので、そういった視点で聞いていただければというふうに思います。いろいろ話すことを用意してきたんですけど、全部飛ばしましてポイントだけ話したいと思います。

 僕らが条例をつくる上で、この条例に込めた思いというのは4つあります。1つずつ説明していきたいと思うんですけど、まず1点目がみんなで知と汗、知恵と汗を出し合おうということです。これは、きょうのテーマそのままですけど、みんなでまちをつくっていこうということですね。現在、先ほど毎熊先生の話でもあったんですけど、行政も財政面で、そもそも行政が持つ公平性、画一性といった性格から、行政ひとりで地域をつくっていくということがもう既に不可能になってきているというふうに認識しています。その上、NPOや市民活動というものが高まってきておりますので、そうした主体みんなで知恵と汗を出し合って、それでよりよい地域をつくっていこう、そういった思いを条例に込めました。

 これは、条文をきょうお配りしてないんですけど、具体的には23条にあらわれておりまして、これはいきいき活動、僕らは市民活動のことをいきいき活動と呼んでいますけど、いきいき活動のことに関する審議を行う審議会の設置をうたった条項なんですけど、その審議会を議会に置きまして、議員の方も積極的にそのいきいき活動に関与してもらおうというふうにして、まず議員の方の関与というものもこうやってみんなの中に含めて確保しようとしています。

 2点目ですね、身の丈に合った参加を、これは先ほど毎熊先生がお話しになった人生いろいろ、市民もいろいろと同じなんですけど、みんなで知と汗を出し合うことはもちろん大事なんですけど、それは市民もいろいろという前提に立った上での話です。市民には、忙しい方も、僕ら学生のようにというとちょっと語弊があるかもしれないんですけど、暇な人もいて、必然的に市民活動に参加できる人と忙しくてそれどころじゃないという人が出てくると思うんですね。そんな中で、参加できない人に参加を強制したり、参加しないからといって非市民だといってその人を非難するようなことをしても、そんな社会は息苦しいだけだと思うんですよね。僕なんかは学生で暇なんで参加できるんですけど、もし社会人になって活動に参加しないからおまえは非市民だと非難されたら、そんな社会は嫌なんで、とりあえず各人の個人差を前提とした参加ができる環境づくりっていうものを条例では目指しています。これは、条例の中では3条、4条ということで、市民の役割などで規定しています。

 3つ目ですね、みずから襟を正そうということ。これは行政に、特に県に対して言っているんですけど、県というのは、協働のまちづくりになってほかの主体がまちづくりをやってくれるから自分はサボってていいかというと、そうじゃないと思うんですよね。県というのは、そもそも僕らが税金を出して雇った自治のプロだと思いますので、行政というのはやっぱりプロとして自覚を持ってきちんとまちづくりに関与していかなければいけないと思います。その上、その主体としてふさわしく行政はあるべきなんですけど、現在どうなっているかというと、あんまりふさわしいようには思えません。

 というのも、僕らがNPO法人の方に実際活動に参加したりNPO法人の実態を調査するアンケートなどをとったところ、やはり行政の方はプロ意識が足りないとか、態度が横柄でいかんとか、縦割り構造でいかんとか、とにかく市民が頑張ろうとしているのに、それに積極的に関与するという姿勢が見られないという声がありました。そんな声を受けて、やっぱり行政は市民活動を促進するっていう支援策とか協働を打ち出す前に、まずもって自分自身の襟を正す、そういったところから始めなければならないんじゃないかというふうに思いました。これは、具体的に言えば行政の中の改革です。意識を改革したり、市民活動の妨げになっている制度を改革したり、業務の見直しを行ったりというところを条例の中では規定しています。これは2章というところに改革という章を設けまして、その中で意識とか制度とかというものを詳しく規定しています。

 4点目です。支援と協働を進めようということなんですけど、じゃあ、行政はみずから襟を正してばかりでいいのかというと必ずしもそうじゃなくて、先ほど申しましたようにプロですので、やはり市民が頑張ろうとしていたらそれに手助けしなきゃいけないし、手助けというよりも一緒に頑張っていかなければいけないと思います。

 そのために、条例の中では2つの方向性を打ち出していまして、一つが支援、もう一つが協働です。詳しいところは申し上げられませんけども、支援は活動団体、市民活動の自主性とかを侵さないような形で、つまりお金も出すけど口も出すみたいなことをしないように配慮しながら市民活動を支援していかなければいけないし、もし協働してまちづくりをしていく方がよりよい結果を生むのであれば、それは協働して市民と一緒にまちをつくっていかなければいけないということを打ち出しています。これは、3章に協働、支援という章を設けまして、13条から22条まで詳しく規定しています。

 内容のポイントはこの4点なんですけど、最後に伝えたいことを前文で宣言してますので引用しますけど、これから僕らが考えていく地域というのは官から民へってよく言われますけど、そうじゃなくて官も民もだというふうに思っています。これは、先ほどから説明してきたことときょうのテーマと同じですけど、つまり協働のまちづくりになってほかの主体がやってくれるからといって官がサボっていっていいわけじゃないんですね。みんなで、本当に行政も含めた全体としてまちをつくっていかなければいけない、そういった方向性を打ち出した条例に仕上げたというつもりです。

 非常に短くて全然わからなかったと思うんですけど、一応これで条例の概要説明を終わります。それで、条例について、きょうはお配りしてないんですけども、詳しいところが知りたい方は、境港市の地域振興課の方に条例が欲しいという旨のメールを送っていただければお送りいたしますので、そちらの方でよろしくお願いします。以上です。ありがとうございます。

○司会 田中壮一さん、どうもありがとうございました。

 皆様、もう一度田中壮一さんに大きな拍手をお願いいたします。

 島根大学の皆さん、全国に例がないということですが、大学生が条例案を提出するというすばらしい活動をお聞かせいただきました。行政に、私たちにとても厳しい御提案もありましたが、身の引き締まる思いで聞かせていただきましたし、まさに襟を正してまいりたいと思っております。ありがとうございます。また、今後も地域の活性化のために若いパワーで、若者のパワーって本当にすばらしいと思います、大学生のパワーで活性化に向けて頑張っていただきたいと思います。

 毎熊先生には、お時間がなくて十分な御説明ができなかったと思います。この後、また毎熊先生には総括討論でお話しいただこうかと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 毎熊先生、田中さん、本当にありがとうございました。皆様、いま一度大きな拍手をお送りくださいませ。

 続いては、事例発表に移りたいと思います。

 発表者は、NPO法人たすけあい平田、理事長の熊谷美和子さんです。

 熊谷さんには、本日、島根県平田市よりお越しいただきました。どうぞ御登壇くださいませ。

 それでは、NPO法人たすけあい平田、理事長の熊谷美和子さんを御紹介いたします。熊谷さんは栃木県のお生まれです。栃木県庁に勤務されていらっしゃいましたが、御結婚後、御主人のふるさとである島根県平田市に移り、社会福祉協議会のボランティアコーディネーターを務めておられました。この経験から、家事の合間に社会参加したいという市民ボランティア、あるいはホームヘルプ有資格者の皆さんの協力を得て、身体介助や家事サービス、簡単な大工仕事、草取りなど人手の足りない高齢者世帯を手伝う有償ボランティア、助け合い制度のシステムづくりに取り組まれました。その後、約8年間の地道な取り組みを礎に平成12年4月NPO法人となりました。ボランティアから発展した島根県内初の介護保険事業者であり、現在ボランティアと事業者の二本立てで地域に根差した活動を展開されていらっしゃいます。

 熊谷さん、どうぞよろしくお願いいたします。

○熊谷氏 皆さん、こんにちは。ただいま御紹介をいただきまして、ボランティアから発展した事業者、島根県内で初めての事業者ということなんですけどね、事の起こりといえば、本当に自分が日常の生活の中で困ったことがぼろぼろ出てきたんですよ。それで、それをどう解決したらいいかなって主婦の知恵で動き出したのが最初なんです。

 私は、先ほど御紹介いただきましたが、栃木生まれという御紹介いただいてますけど、実家が東京なんですよ。こっちへ長男だから帰ろうということで帰ってまいりまして、帰ってきたけれども夫の仕事の関係で全然親戚も何にもいないとこへぽんと住みついて、子育てをする、介護をするというようなことのときに本当困ったんですね。困ったな、だれかに助けてほしいなあと思ってこう見回しても親戚はいない、その中で力になってくれたのがお友達でした。

 こちらへ来て2年目ぐらいに実家の父が亡くなりました。その介護に帰ったんですね、赤ん坊をおぶって、小学校の1年生と幼稚園を留守番させて、昼間2人きりです。それから実家へ帰って介護がしたいと思って帰ったけど、結局は子供が泣くから、むずかるから病室につけなかったんです。ただ、気持ちだけはあふれるほど親のために何かがしたいっていう思いはあって帰ったんだけど、結果としては何にもできなかったという人なんですね。

 そのときに、いや、申しわけないことをしたな、遠くへ行ってしまって申しわけなかったなと本当にもう胸が張り裂けるようなつらい思いをしました。そのときこちらへ残していった子供を私の友達が預かってくれまして、そしておばちゃんちへおいでっていうんで幼稚園から帰ってきた子を見てくださった、おやつを与えてくださった。ありがたいなあと思いましたね。そのとき本当私が身をもって体験したのは、遠くの親戚より近くの他人だ、離れていたら何にもできないですよね、困ったときはお互いさまの助け合いだって思ったんです。先ほど、毎熊先生の講演の中にも助け合いという言葉が出てました、困ったときの助け合いっていうことがいろいろ出てましたけれども、私はもう自分の体験を通してそれを実感しました。本当ありがたいなあ、友達ってありがたいなと思ったんですね。

 そういう中で、じゃあどういうことができたらばみんなが心安らかに暮らせるのかなあというようなことを考えまして、平田に助け合いの組織があったらいい、つくってほしいっていうことを言い出したわけです。そのつくってほしいと、自分がつくるつもりはなかったんですよ、あったらいいな、欲しいなっていう思いだったんですけれども。たまたまそれはきっかけがありまして、平田市報へ原稿を書いてほしいって頼まれて、そのことを私の願いという思いで書いたんですね、別に提言でも何でもない、そんな大それたことじゃなかったんです。

 助け合いの組織があったら、今できる人、退職をして時間が十分あって何をしようかなというふうに考えてる方、子育てが終わって今一息ついた、これから社会参加しよう、何しようというような方はいっぱいいるわけですよ。一方では、困ってる、だれか助けに来てほしいっていう人もいるわけです。ならば、人生のいろいろなステージの中で同じ人でもできるときとできないとき、助けてほしいときと人助けをしたいときっていうのがあるわけですよね。だから、私助ける人、あなた助けられる人では決してないんです。時の流れの中で、人生のステージの中でいろんな場面があって、1人の人がいろんな立場になれるっていうことを自分の体験から感じました。そして、だったらば平田市でそういうのつくってもらって、私たちが参加していったらいいなと思ったんですね。遠くの親戚より近くの他人、困ったときはお互いさまの気持ちで、できる人ができることをできるときに少しずつすればいいと、そういう気持ちでした。

 そしたらば、その市報に載った原稿を見た社会福祉協議会が、あんたそういう気持ちがあるなら出てきて助け合いづくりしてくれないって誘いに来られました。やっぱり私ちょっと仕事もして、ああといって大分ためらったんですが、上手に上手に勧められまして、毎日なんか出なくていいよ、あなたが出られる1日でも2日でも午前でも午後でもいつでもいいから出ておいでっていうふうに勧められても、やって失敗したら困っちゃうなんて心配しました。そしたら、いや、それは失敗したときはあなたの責任じゃない、社協がやろうとして失敗した社協の責任だというふうにその勧めに来られた方がおっしゃってくださいました。

 そんならやれるかなとか思って、それにもう一つまた来たんです。あなた実家東京でしょう、各県から1人ずつボランティアリーダー育成のために東京へ研修に送り出すことになってるんで行ってくださいという話。たまたま平田の社協がボランティアのまちづくり事業、ボラントピア事業といいますけれども、それの指定を受けて、今からその推進する人をつくらなきゃいけない。それで、それをあなたにお願いしたいということで、社会福祉事業大学でしたけどね、そこで研修がありますと、全国ボランティアリーダー養成研修ですか、それに行ってください。帰りにも行くときにも里へ寄れますよ、いいでしょう、ただで行って行きも帰りも里帰りが、ゆっくり寄ってきたらいいじゃないといってえさをぶら下げられたんです。それで、私も、うん、そうだな、1年前しか行ってないから行ってみたいなという思いもあって、しかもそれで帰ってから考えたらいいから、いいと思ったら仕事としてやってよ、だめだと思ったらやめてもいいっていう条件つきでした。つい乗ってしまって、東京へ島根県ということで行きました。

 そこで、いろいろな講義や事例発表を聞いて洗脳されたんですね。やっぱりこれは私がしなきゃいけないやって思ったんですね。帰ってきて社協へ出るという約束をして、週3日ほど出始めました。その中で、いろいろな試行もありますが、まずは地域耕しを行い、社協の職員として耕しを行い。一方では、女性たちで会をつくってどうしたらばいい会ができるだろうみたいなことをしながら地域耕ししていきました。そして、全市にアンケートを出したりして、うん、これなら行けそうかなというところまで時間をかけて、平成元年から準備を始めて平成4年の10月にできましたので、ゆっくりゆっくりとした歩みでしたけどスタートをしました。

 その仕組みというのが、要するに利用する利用会員、今ならできるというサービス提供ができる、人のお役に立てるという協力会員、それから、どちらにもなれないけれども、平田にそういう会があったらとってもいいので、いずれまたお世話になるかもしれないからお金で応援するよって真心会員なんですね、というそういう3種類の会員でつくりました。

 そういう会をつくってスタートしまして、初めは家の中に入るなんて、熊谷さん、あんたいいこと言ってるけど、助け合い、家事や介護や草刈りや、そういうことの助け合いってとってもいいんだけれども、そんな夢物語でそんなことならせんぞねって言われました。私は助けられて平田で生きてきたんです。今、皆さんは三世代、四世代同居だから盤石だけど、私たちみたいな家族が絶対できますよって、いずれ、そのときどうされますかとか、あなたがもし倒れたらば、奥さん倒れたら御主人どうされますかとか言うと、まあそげだのう、やっぱりそれが必要だのうというようないろいろな経過をたどってできた会なんですよね。

 初めやったときは、やっぱり市民の皆さんが心配されたように家の中へ入る依頼はなかったんです、掃除してほしい、介護してほしいという。平成4年ですから、介護保険が12年にやっとできましたね、それより8年前の話で、少なかった。何があったかっていうと、庭木を切ってほしい、ひとり暮らしで庭師さん頼むお金もない。それで木が植わっているが大きくなっちゃって伸び放題で軒に重なっちゃって、もう家の中が薄暗い、でも枝打ちができない、ひとり暮らし老人で力がない、そういうのをお願いがしますとか、夏になると熊谷さん、私は草に拷問されてるんですよっておっしゃるんです。取っても取っても次々に生えてきて、やっとここ取り終わって、ずうっと回ってこっちまで終わったというとまたこっちがこんなになってる。もう夏になると私は草に拷問される思いですってもう訴えがあって、じゃあ行きましょうって草取りに行ってというようなことで活動してまして、これは有償活動なんですね。先ほど、ボランティアは無償であると、基本的には無償ということからスタートしてるんですね。時代の流れの中で、有償もボランティア活動として今認知されたというか、そういう時代になってるんですね。

 それで、もうけるほどのお金は別だけど、ボランティア活動に必要なほんの少しの何がしかのお金が行き着くことは、質のいいというか、質のっていうか、これはまた心がボランタリーな活動ならボランティアであるだろうというふうに中央社会福祉審議会の方も認めていただいてるわけなんですね。で、ボランティアっていったら難しい理論を並べればいろいろあるんですが、易しくかみ砕いて言ったら、私はお互いが人として豊かに生きるために自分が持っている力をだれかのために役立てるもの、そして自分も困ったときには遠慮なく助けてもらう、優しさを分け合う活動、そういうふうに私は思っています。ですから、それが有償、無償ということはちょっと置いといて、どちらもボランティアなんだよというふうに受けとめての活動を今しています。

 活動の中で、もろもろの事例がありまして語り出したら切りがないというぐらいあるんですけれども、私たちが活動して最初、家の中でのサービスをしてほしいってことは全然なかった。しかも、スタートした年、10月1日にスタートして3月の末までたった69時間ですよ、半年で。やっぱりだめかなって思いました。でも、それが半年過ぎて、平成5年度に入ったら倍にふえたんです。そして、家の中のことも依頼が来るようになりました。平成6年度になったらまたその倍になりました、依頼が。それで、平成8年度まで倍々ゲームで膨らんでいったんですね。初め60件でスタートして、それが平成8年度には6,000時間、60時間が6,000時間になりました。倍、倍、倍、倍とどんどんふえていきまして、そのときにはそこまで発展するなんて、私たち仲間はだれも思っていませんでした。

 スタートして2年目ぐらいでしたか、右手にがんがあっていつも三角巾で手をつってらっしゃる女性の方がいました。元軍人さんの奥さんなんですよ。御主人は亡くなっちゃって、一人でおられます。息子さんは都会におられます、別居しています。ただし、右手が悪いから何かと不自由。それで、済みません、お掃除に来てください、敷物の敷きかえお願いしますというようなぽつんぽつんとした依頼でしたけど、お邪魔してました。何回か行ってるうちにだんだん心が通うようになって、法事があるんですけれども、法事の準備したいですというようなことで来てください、布団はひとり暮らしだしこうして使ってない布団ですからぺっちゃんこ、冷たくなってます、かたくなってます。それを干して、カバーを洗って、ふかふかにしてきれいにしてお布団をおさめて、息子さん夫婦が帰られたらすぐ法事ができるという状態にお部屋をしました。とっても喜ばれてましたが、間でこの治療のために出たり入ったり入退院を繰り返していました。そのときに、全部お買い物に行って、着にくいですからね、洋服なんかでもそれをきれいに着やすく改造してあげて、荷物を整えて車で送っていくようなことをしてました。

 それのおつき合いが2年くらいあったんですよね。それで、最後の入院になりました。それがちょうど平成6年の12月24日、クリスマスイブの日だったんですよ。みんなで送っていって、その中の一人が残るつもりで行ったんですね。そしたらば、婦長さんの方から、今年度から付添婦廃止という方向を出していますので申しわけないですがお帰りくださいということでした。そしたら、その方が、ああ、うちのボランティアさんって、こうやってつかんでね、そうじゃないですって、この人は私の家族です、私にとっての家族ですって始まったんです。いてほしいって言って、それで私も置いて帰るわけにいかないから婦長さんとよくよく話をしまして、付き添わせていただけませんかと、こうこうこういう事情がありましてというふうなことを言いましたら、そしたら家族にかわる人ということで認めましょうと言ってくださいました。それで、それから毎日毎日、交代でお宅へ訪問していた人たちがベットわきに付き添いました。

 初めはよかったですが、だんだん悪くなってきて、食べ物も十分にやがてのどを通らなくなりました。それで、そうなる前には、貯金をおろしてきてください、洗濯をしてください、きょうはここが痛いから体をさすってください、売店で買い物をしてきてください、ネグリジェのきれいなのが欲しいから藤色系統のおしゃれなネグリジェ買ってきてくださいとか、そういう依頼がありました。で、それをみんなでやっていました。8カ月ぐらいたって亡くなったんですが、亡くなる直前には食べ物も通らなかった、のどがね。私たちがそうなるまでにずっと通っていましたら、はるばる息子さんも都会から夫婦連れで帰ってきます。でも、お仕事持ってます、どちらも、二、三日で戻らなきゃいけないということになるわけです。それで、済みませんね、できないんですよねということで、大の男がはらはらと涙をこぼしながらよろしくお願いしますと帰っていくんです。私はその姿を見て、昔父の介護がしたくて里へ帰ったけれども、結局大した役にも立たなくて、思いだけはあふれるほどあるんだけれども、距離といういかんともしがたい条件があってできなかったっていう体験があるので、昔の自分の姿と重なりました。それで、大丈夫です、どうぞ御心配なく、できるだけのことをしますからっていうことは言ってました。

 最後、食べられなくなって、鯛のお刺身なら食べられるかもしれないとか、おっしゃるんですね。で、そういうものを買いにいって召し上がっていただく。それも食べられなくなった。病院にミキサーを持ち込んで、ないしょで、電源使って、果物と野菜とかあって回してジュースをつくって吸い飲みに入れてどうぞってやると、おいしいって飲まれました。その方が、8カ月の入院の間、口癖のように言っておられた言葉が平田に住んでよかった、それが平成6年でした、7年の夏に亡くなりました。よその町へ住んでいたら私はどうなってたでしょう、ありがたいねって、行くボランティアさんにもうこれが口癖だったんですよね。ありがとうね、ありがとうね、平田へ住んでよかったわっていつも言っておられました。

 それで、それだけ必要としてもらえるということ、自分が必要としてもらえるっていうことが、会員はやっぱり自分がなくてはならない人間なんだと、この人のために大切な役割があるんだ。自分が自由時間の中のたった2時間とか、そういう時間を提供するだけであんなに喜んでもらえるんだということを身をもって感じたわけです、実感したわけですね。それで、必要とされることへの喜びを感じて、そして自己実現して、私がしなくてだれがするのみたいな、そういう思いになってきた。それで、そういう方が何人も何人も、初め2人でしてたのが8カ月の間で数えてみたら13人の方がいました。それで、その人たちがみんなそういう思いを共有したんですよ。だから、私たちは必要な人なんだ、この助け合い制度はなくてはならない組織なんだっていう思いを持ちまして、仲間意識がすごく仲間の結束ができてきました。自己実現したい、輪が発展する、どんどんどんどん発展する。結果的に一人一人はできることをやってたんですよ、だけどその中心にいるコーディネーターという職にある者がもう必死で調整しましたよね。相手が希望するサービスをだれによって提供していこうか、もう希望があったら必ずこたえるんだっていう思いでやっていきました。で、うまくつないだ。一人一人はちょこちょこの力でも大きな力になれるんだなあっていうのを実感したんですね。

 そのとき、私たちやっぱりこれから絶対頑張っていこうねっていうことで、その方が亡くなられたときに息子さんが何回もお礼なさってましたけど、お通夜の席で、私たちのできないことをよくやってくださって本当にありがとうございましたってボランティアさんに頭下げられました。それで、やっぱりいろんなことを発展させていくことで、私たちのちょっとの力がこんなに喜んでもらえるならば頑張ろうねっていう再確認をしました。別に感謝されたので確認したっていうんじゃなくて、もう気持ちがそういうふうに高くなっているんですよね。そういうふうな思いで、やろうねっていう仲間が何人もできてきた。

 いろんな事業がありますが、ちょっと二、三事例を紹介させていただきますね。もう一つ、あと2つぐらいでいうと、これはひとり暮らしのおばあさん、嫁姑問題でいろんなことがあって自分が家を出たんですね。そして、公営住宅に入ってひとり暮らししてらっしゃいました。息子さんも板挟みで、結局お母さんのために何かしたいんだけれども、やっぱり奥さんの思いもわかるわけですよ、いろんなことがあって、それで公然とはお母さんのためにできない。だから、お金を仕送りするとか、人を通して言づけるとかしてました。それから、色んなお菓子を、小包にして、自分の仕事先で小包をつくってお母さんに送ってたんですよ。思いはあるんです。だけど、会いに行ったという事実、田舎ですからすぐわかりますよね、それがわかるとまたややこしいことになるので会いに行けなかったんですね。で、荷物を送っていました。

 心のきずなが結ばれていたんですよ、だから親子同士は。でも、現実には会えなかったんですね。それで、うちのサービスを使って通院介助をしてました。まだ介護保険のない時代です。古い車で運転して病院に同行する、何回か通院して、そしたらば、あるとき血尿が出て、おしっこのちょっとした検査をしたらば怪しいということになったんですね。これがたまたまその日私が同行していました、ほかの人もみんな同行してますけども。済みません、きょうこれから造影剤を使って検査をしますと、こういうような説明でしたんですね。私は、そこのときに造影剤を使っての検査に私だけがかかわることでいいのかと、ここは息子さんとお母さんを結びつけるチャンスなんじゃないだろうかと思いました。それで、済みません、待ってくださいと、これは緊急な検査じゃないことないですかと言ったら、いや、別に緊急ではないと、二、三日の余裕はオーケーと言われましたので、息子さんに連絡を入れて、その場で、こういうことが起こってますからきょうじゃなくてもいいですから時間をとって同席していただけますかって言ったら、もう息子さんはそれは本当に常々心にかけてましたから、わかりましたと、じゃあ、何月何日私が伺いましょうということで即答でお返事いただきました。

 それで、その日はそのおばあちゃんを住んでるとこまで私がお送りしたんですが、何日後にそこのお宅へ来られたんですよ、息子さんが。来られて、一番最初に手をつかれて、お母さんにね、長いこと大変ごぶさたしてましたってあいさつなさったんです。そしたら、そのおばあさん、お母さんは、ああ、もういいわいいわと、おまえがそう言っただけですべてわだかまりは解けたからもういいというふうにおっしゃって、その足で病院に行きました。私はもうそこから家へ帰りましたけども、検査をずうっと息子さんがして帰ってこられた。

 だけど、結果的に亡くなられたんですが、もう最後の最後で、病気が悪くなっていて亡くなってしまいましたけれども、病院で入院してるときに、ボランティアの方に、手紙の代筆というのもうちのサービスを持ってたんですね、代筆をしてほしいと、それは自分が今まで人生でお世話になった人にいとまごいの手紙を書きたいっておっしゃるんです。それで、口述筆記ですよね。で、お手紙書いて、あて名を書いて、切手買ってきて張って投函するというような活動もしました、そのいとまごいの手紙をね。

 その方は病院で亡くなってるんじゃないですよ、ある施設へ入ったんですが、もう亡くなったんです。その方がね、いつも言われたことは、私の力が微力で今は何もできない、でも私が全力であなた方をお守りします、私の持てる力で全力であなた方をお守りしますっておっしゃったんですね。そのときに、これはうれしいなあ、ありがたいなあ、本当たったこれだけのことをしたことだけなのにっていうふうなことで、本当感動をいただきました。その息子さんも、今もうちのお金で支援する、組織を応援する真心会員として真心会費をちゃんと出してくださってるというような事例もあります。

 時間がそろそろないので1個だけ言いますね。事例を語り出すときりがありませんが。というようなことで、どんどんどんどん活動が発展しました。平成11年の秋には、結局中心になってる職員は、常勤のヘルパー80人もいましたからね。ボランティアだけでですよ、みんな非常勤なんですよ。常勤ヘルパー8人分、その当時ヘルパー1人雇うと300万来たんですよ、黙ってて、うちらはそんなものもらっていません。80人で8人分というと2,400万ですかね、の働きをやっちゃってますよ、無意識でみんな一生懸命で、ただ熱い心を込めて。

 そしたら、市の方から、熊谷さん、介護保険が始まるようになったらば、介護保険の事業者ということになってもらえませんかと。それで、私たちが本当にできるだろうかと、本当にできる時間をちょこちょこちょこちょこつないでやってたわけですからね。検討させてくださいということで、1年間いろんな方面から検討しました、シミュレーションして。毎月1日定例会、その1日はもうその話で一生懸命。結論としては、多分365日24時間と言われたらできないけれども、私たちの得意とする分野をヘルパーとして動いてほしいと言われるならできるだろうということで結論を出したんです。

 それで、市役所の課長さんと、私たちの定例会に来ていただいて、社協の局長と、それでそのときで私たちの思いを伝えました。そしたら、わかりましたと、あなたたちができる範囲のことでヘルパー業務をします、主に家事援助ですね。それでいいですからお願いしますというお話でした。やったあ、行政のこの柔軟な姿勢、ヘルパーは24時間365日都合のいい時だけやるなんて、そんなことって言われたらもう驚きですけどね。でもいいと、できるとこでいいから、だから協力してほしいと、それでも協力者が欲しいんです。。お互いに、だから区切るということにして話がまとまりました。そして活動をして、NPOになったのは平成12年の4月。NPO法人たすけあい平田になりました。そして、NPO法人として介護保険の指定訪問介護事業者になりました。これは、本当にボランティアから発展した初めての事業者だったと思います。

 初めは何にもない、そしたらね、ありがたいことには仲間がいます、何にもないけど仲間がいます。男性の魚釣りの趣味の人がいて。全部魚のえさ入れにしてた、魚釣りのえさ入れに使ってた中古なんだけど、洗ってアルコール消毒したから大丈夫だと。で、茶器を持ってきてくれる人がいる、じゃあポットを提げてきてくれる人がいるということで、市から少しのお金を180万の補助金はいただけたんですが、スタートに当たって。机買ってロッカー買ったらばなくなっちゃったんですけども、本当のこと言うと。いや、印刷機は要る何は要るで、山ほど要るけど何も買えなかった。それで、もうとにかくあり金はたいてそういうもの買ってパソコンのソフトをつくって、もうさんざんそれでうんざりしちゃいました。それで、あとは補助金があるからって夢中になって申請書書いて、五百何十万かの補助金を3カ所から初年度もらいました。必死でした。そのお金で事務所が立ち上がっていった。本当に金なし物なし、いるのは仲間だけの状態で苦しかったけど、結果、よかったということになりました。

 なぜかというと、もう時間がないので、やめますが、介護保険の事業者だけしていたらば介護保険の方に縛れてできないことが山ほどあるんですね。何ができないといってね、まず窓ふきはだめ、草取りはだめ、みんなだめなことが、入院したらば見てあげられない、庭木の剪定もできないっていうことなんですね。それから、ヘルパーが行きます、頼まれて。今から遠いところに離れたお医者さんに行きます。タクシー代は自己負担なんですけど、介護保険。それで、3万8,000円ぐらいですよね、高齢者の年金は、国民年金。3万8,000円の中からタクシー代を7,000円、1万円って出すんですね。ならば、お医者さん行くのはやっぱりやめたわってなっちゃいます。行けば治る病気が治らないんです。ていうことは、私たちが今ボランティアと、それから事業者と2つの顔を持ってるんで、ヘルパーさんは病院なんか行けないんですよ、入院ですから。介護保険は家にいる人の世話だけです、在宅の世話をするんです。私たちが在宅から入院された後、そのまま頼まれてボランティアっていう中で、何かしてほしいことありますかっていけるけど、私たちはヘルパーであってボランティアであるという2つの顔を持ってるために、1人の人の生活をすべて丸ごとサポートできる。だから、お葬式のぎりぎりのとこまでさせてもらいます、というような活動ができてしまう。

 1年たった後で、12年のスタートでよっぽど貧乏でしたが、必死でみんなで頑張ってきて、1年たって1周年の報告会のときに、やってよかった、本当にやってよかったと思いました。事業者っていうのは何にもできない、事業者だけでは。心豊かに生きていくための応援というのは、やっぱり2つの顔を持ってみて、だから事業者がいてボランティアがいるまちにならないとだめなのなかなと。それで、先ほど毎熊先生の方からも、行政にしてもらうんじゃないでしょう、自分たちがどういうまちになりたいのか、自分たちにできることは何なのか、だから自分の持てる力をお互いが寄せ合っていいまちをつくっていったらいいだろうと。そして、お互いが人として豊かに生きるために自分の持てる力をだれかのために役立てようと。そして、自分の必要なときは遠慮なく助けてもらう、元気なときにつくっておこう、そういう組織を。みんなが気軽に助けられたり助けたりという世界をつくることが必要かなあと。だから、それで今この私たちの事業者の方の組織は若いお母さんの就労の場になってる。幼稚園生のお母さんがうちへ来て動けば二、三万というお小遣いになってたし、物すごくありがたいと言ってます。社会参加はできて、お小遣いがもらえて、仲間ができて、こんなありがたいことはない。今、若いお母さんの就労の場になりつつあります。今までは50代以上、退職者、高齢者という仲間でしたが、今は20代から70代の半ばまでいる。70代半ばでもばりばりで動いています。そういう意味では、高齢者イコール要介護者でなく、高齢化率が何人で、1人の高齢者を何人で支えるようなことをよく話しされますけれども、決してそうじゃない。高齢者だって大きなパワーを持っていて、だからそこら辺を寄せ合って知恵を絞って汗をかいて、先ほどのお話じゃありません、そういうことをしてみていただけたらいいのかなと。

 平田での事例をお話ししましたけれども、今後そういうふうな活動を通じて、またこのまちで、境港市で、みんなの力で、そういうものが立ち上がったときにどこかで再会できる日があることを祈って、私の事例発表とさせていただきます。以上でございます。

○司会 熊谷さん、どうもありがとうございました。

 できる人ができることをできるときに、これから地域活動の参加をしていこうかなあと思われた方々にはとても安心できる言葉だったように思います。

 皆様、NPO法人たすけあい平田、理事長の熊谷美和子さんにいま一度大きな拍手をお願いいたします。

 ここで5分間の休憩をとらせていただきます。

 エントランスロビーでは、市内のNPO団体の皆さんの活動の様子をパネル展示などで御紹介しております。ぜひご覧いただきますよう御案内申し上げます。

                 〔休  憩〕

  ○司会 皆様、お待たせいたしました。続きまして、総括討論を開催させていただきます。総括討論に御参加いただく皆様には既に御登壇いただいております。ここからは、コーディネーターの毎熊先生に進行役をバトンタッチさせていただきます。

 毎熊先生、よろしくお願いいたします。

○毎熊氏 よろしくお願いします。

 それじゃあ、約1時間という短い時間ですけれども、パネルディスカッションをしたいと思います。

 それで、先ほど僕自身は時間が足らないせいもあるんですけども、なかなか不十分な点はあったんですけれども、たすけあい平田の熊谷さんのお話聞いて、やっぱり一つの事例は、もう事例というか、事業といいますか、かなわないなというふうに思ってしまいました。

 それでは、早速ですけれども、一人ずつ最初5分程度で自己紹介を兼ねて活動の内容をお話をしていただきたいと思います。

 それでは、最初に吉岡さんからお願いしたいと思います。

○吉岡氏 皆さん、こんにちは。ブルエコ代表の吉岡です。

 私たちブルエコは、平成11年の7月7日に設立したNPOで、安心して楽しく暮らせるまちづくりというのを目指して、健康、環境、福祉に配慮した活動を行っております。現在の活動といたしましては、境港フリーマーケットまつりというイベントを企画、開催いたしまして、それと同時開催で繊維の再利用、リサイクルのための回収活動、そして使用済み切手、書き損じはがき、古はがき、外国コインの回収活動、そういうものをフリーマーケットと同時に開催しております。また、フリーマーケットの開催にあわせて、名前を「ブルブルブルエコ」というんですが、情報誌の発行も簡単な内容ですが出しております。

 今月の20日と21日には、10回目の境港フリーマーケットまつりを夢みなとタワーで開催をいたします。また、ブルエコも一員であります「Go Go NPO」というグループがあるんですけれども、フリーマーケット会場の入り口の一角でNPOサロンカフェというイベントを開催します。サロンにおいては、両日とも午後2時からNPO談義と名乗った公開井戸端会議を開催します。土曜日の議題は鳥取県の協働事業を振り返って、日曜日の方は境港談義、中村市長とともにというものを行います。談義は公開ですので、皆さんぜひお立ち寄りください。また、カフェのみの御利用も大歓迎いたしております。

 活動の発足ですね、私たちブルエコの発足した動機なんですけれども、もともとフリーマーケットを個人的に楽しんでおりまして、何回か出店するうちにもっと出店したいなと思うようになったんですが、なかなか出店先が見当たらない。もし見つかってももういっぱいだと言われたりするんですね。それなら自分たちで開催してしまおうかなと思いついたのがきっかけで、それだけではいけないので、何か楽しいイベントを境港につくりたいなという思いはあったんですが、楽しいだけではいけないんじゃないかなと。また、フリーマーケットに出店してみていつも思っていたことがありまして、古着なんかを安く値段をつけて出店するんですけれども、必ず売れないものがあるんですね。その売れないものを何回も出してもやっぱり売れないんですけれども、だからといって簡単にごみに出せない。何かごみになるのがもったいないというような気がありまして、それならそういうものを集めてリサイクルできるんじゃないかなと。いろいろインターネットなどを使いまして検索をしてみたところ、行政ではなかなか一括回収というのを、平成11年のことなんですけれども、回収業者さんが値段の単価の下落によって一括に大量に集まらないとなかなか取りに来てくれないという状況がそのころインターネットを検索していてありまして。それならフリーマーケットに来るお客様に呼びかけて一度に大量に集めれば、それで一括業者の方に渡すんですけれども、それをすればフリーマーケットの中で楽しさと地域によいことが一緒にできるんじゃないかなということで始めたのがきっかけです。

 ずっと11年から活動をしていまして、そのことを思い起こしてみますと、今回NPOという言葉をいろいろ皆さんにこういうものだという形で先ほどから解説いただいているんですけれども、私たちは発足当時から自分たちはNPOであるという認識で活動をしておりました。私たちの活動のベースはフリーマーケットの開催ですけれども、これを個人レベルである程度の規模を保ちながら来場者も集めて行うには、どうしてもある程度の経費がかかってきます。会場を借りたり、PR活動を行わないといけないということがございますね。私たちは、その経費を捻出するために出店者から出店料を徴収することにしたんですけれども、この活動経費の必然的な発生が私たちの活動は一体どういうものなんだろうと考えるきっかけになりましたから、そしてまたいろいろインターネットを駆使しまして調べた結果、NPOという言葉の意味が自分たちの活動に一番合っていると思ったわけです。

 5分という短い間ですのでもうこの辺で終わりにしたいんですけれども、もし興味を持たれた方は、ブルエコのホームページが今年ようやく立ち上がりましたので、インターネットを検索していただいて見ていただきますとさらに詳しい内容を書いております。きょうは楽しいディスカッションができればと思っております。よろしくお願いいたします。(拍手)

○毎熊氏 ありがとうございました。

 フリーマーケットですね、いつ開催されるんですか。

○吉岡氏 今月の11月20と21、土曜日と日曜です。

○毎熊氏 11月20、21ですね。ぜひ行かさせていただきたいと思います。

 それでは、もう一つ御確認ですけども、先ほど僕の話でわかりにくかったかもしれませんけど、NPO法人っていうお話ししましたが、法人格はとられてないけれども自分たちはNPOの活動やっているんだという、ということです。

○吉岡氏 そうです。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 それじゃあ、奥森さん、次によろしくお願いします。

 先ほど申し上げませんでしたけど、5分たちましたら、これは遠慮なく鳴らさせていただきます。よろしくお願いします。

○奥森氏 時間がなくなりましたので、3分ぐらいでお話させていただきたいと思います。

 実は、私どもは、本年度、16年の4月にNPO未来守りネットワークという名前でNPO法人をとらせていただきました。基本的には、なぜこういうものをとったかといいますと、我が町、我が海をきれいにしようという、まずそこから有志が集まってできた組織なんです。実は当初考えてたのは、間伐材というものが利用価値がないということで山に切り捨てられると、それをどうやって利用するかっていうとこから、3年ぐらい前から発足しています。我々はそこなんですね、環境です。それほど仮に山が荒れれば当然水は悪くなると、そういうような関係からこのままほっといてはいけないと。そして、またそれを再利用する方法なんですけども、その技術もかなりあってお金もちゃんと出ます、なかなかうまいことはできんというのが現実です。

 それを何とかしようということで、海がくっついたらどうだということで、ところが、これはいろいろ実証実験したいけど案外成功しないということもありまして。今みたいなこともやります。いろんな形の実証はあったんですけども、逆に我々市民レベルの中で   という方で、もっと活動したらどうだよというようなことを踏まえてNPOをつくったということです。

 いろんな流れがありますけども、なかなか専門的な言葉がいろいろ出ると思うんですけど、ただ我が海をきれいにするという、我が川をきれいにするということをまず大前提に考えております。NPO法人です。

 また、対話の中でいろいろお話しさせていただければと思っております。どうぞよろしくお願いします。(拍手)

○毎熊氏 ありがとうございました。

 それじゃあ引き続いて、足立さん、よろしくお願いします。

○足立氏 皆様、こんにちは。おはなしポケットの会の代表しております足立でございます。

 おはなしポケットの会は、平成5年の4月から子供たちに夢とメルヘンの世界をということで、絵本の読み聞かせやストーリーテリングといいまして、お話を丸ごと覚えて語るっていう活動で、お話し会などを子供たちと一緒にお母さん方も楽しむっていう会をしております。

 活動としましては、図書館で月に1回絵本とおはなしの部屋を開催し、これは私たちの全くのボランティア活動になります。それから、依頼があれば保育園、幼稚園、小学校、あるいは公民館、結構遠くから、県内、倉吉の方からとかっていうような依頼などもあるんですが、お話しの出前をしております。そのときには全くの無料ボランティアっていうことでなくて、本当に少しばかり活動費の足しとして皆さんが出してくださる範囲でいただいております。そういういただくお金は、行ったメンバーがその場で分け合ったりとかっていうんではなくて全部プールして、今度は、例えばおはなしポケットの会が主催して皆さんに、多くの方に、例えば子供のための絵本の読み聞かせがどんなに大事かとか、それからまた、そういう活動をしてらっしゃる方に専門のプロの方を呼んで指導     を受けていただくとかっていう形で、そのポケットのプールしたお金を使って講演会とかワークショップの会を開いているっていうような活動をしています。

 つい先日も、国際的に非常に活動していらっしゃる末吉正子さんというストーリーテラーの方をお招きして、保育園の先生方や図書館の司書の方や、あるいは米子、西部地区で活動している読み聞かせの会の皆さんに声をかけて、お話しと遊ぼうっていう実演とワークを市民会館の和室で行いました。

 それで、そういう活動をしてるんですけども、個別のメンバーでいろんな力を合わせて、例えば2002年秋には全日本語りの祭りin境港っていう大きな大会を開催いたしました。これは、2年に1回開かれる全国的な語り部っていいますか、ストーリーテリングなどを実際にしている人、またそれを楽しんでいる人、あるいは子供たちといろいろなこういうことで開かれて、かかわりを持っている人たちが全国から集まって、それは第6回だったんですが、そのとき全国から300何名来られまして、市の皆さんも本当に応援してくださいましたし、支援してくださいましたし、協力してくださいましたし、100名以上にも上る市民の方々のボランティアでもって2日間にわたる大会が本当に大成功のうちに終わるということもいたしてまいりました。

 また、ことしの夏至には、6月21日にはキャンドルナイトin境港、妖怪とやみを楽しむっていうようなイベント、これは全国的な環境イベントなんですが、夜の8時から10時まで明かりや電気を消して、ろうそくの明かりのもとで演奏やら、朗読劇を楽しみましたけれども。そういうことをしていきましたけども、本当に市民と官との力を合わせてそういったものを成功させることができたっていうことでは、ある意味では、これは改革的な企画ですから、協働のまちづくりそのものではないかもしれませんけれども、ある意味で、小さな思いや願いが行政の支援や協力を得て形となっていくんだなっていう、協働のあるべき姿が反映されておったのかなっていうふうな思いを持っております。

 もう一つは、ブックスタートの事業をぜひ始めてくださいってお願いに行きましたところ、境港市の方で本当に検討してくださって、2002年4月からブックスタートがスタートいたしましたけれども、これは今、もう既に市民の要請を市で検討して、そして一緒にスタートさせることができたっていうことですし、また、おはなしポケットの会、それからおしゃべりたんぽぽさん、それからなぎさ会さん、この3つのグループがボランティアとしてブックスタート事業にかかわっておりますが、ある意味では既に協働のまちづくりが始まっていく一つのきっかけかなっていうふうに思っております。

 きょうは、そういった今までの活動を通して感じたこととか、また皆さんの意見をお聞きしながら意見を述べさせていただきたいなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。(拍手)

○毎熊氏 ありがとうございました。

 それでは、あと大西さん、よろしくお願いします。

○大西氏 EMの会の大西です。よろしくお願いいたします。

 私たちは、上道公民館で、国、県の補助を受けて上道生活学校として立ち上がった団体でございます。現在は、EMの会と名称を変更し活動いたしております。

 活動について少し話させていただきます。初めは10名程度の会員でごみの軽量化とか省資源、リサイクル活動を中心にして活動をしておりましたが、現在会員は70名程度になっております。始めた当時から、EMボカシを使って生ごみを処理し、ごみの減量、それから生ごみを畑に返す堆肥化を進めるために月1回上道公民館で講習会を開催し、現在も行っています。現在は、ボカシづくりとEM活性づくりをやっています。会場の受付のとこで少しEM活性液を配布させていただいています。

 ごみの減量化は生ごみだけでなくその他のごみにも目を向けようと、平成10年に境港市のごみの現状を知ることも大切だと思い、市内のごみ処理施設や公園等公共施設のごみ箱等の使用状況を調べることにいたしました。そのときに、市の職員さんを囲んで話し合いの場を持ちまして、こちらの考えていることを伝えることをいたしました。メンバーの中に自分でごみを埋めるところがありませんので、生ごみの堆肥化に協力するから、どうぞそのようにした堆肥化をしたものをストックヤードをつくってもらえないかということを提案いたしましたが、そのときには量的に農家の人に使ってもらうには適しないという回答をいただきました。そして、残念ながらその思いを持っておられた方たちが退会をせざるを得ないような形になりました。その方たちも少しは仲間でも生ごみをボカシで得たものを融通つけ合っておられましたが、やはりそれは長く続かなくて現在は退会しておられます。また、トレイの回収制度も提案いたしました。そのときも、まだ時期が早かったのか実現しませんでしたが、現在は取り組みが始まっており大変喜んでおります。

 マイバックキャンペーンっていうのも、会員にビニール袋を使わないで生活学校でマイバックをつくろうと提案しましたが、紛らわしい等々の反対意見があり実現できませんでした。このことは私はとても残念に思っております。

 それと同時に、自分たちだけの活動でなく、米子の生活学校という団体がありますが、それに協力してエコショップの取り組みについてのアンケート調査をしたり、それからこれは消費者向けのアンケート調査でした。その中で、各店舗の取り組みについて境港市内のお店に私たちが聞き取り調査に行きました。そのときは境やよい、丸合外江店、丸合高松店に伺いまして、いろいろ調査をさせていただきました。その資料は現在も持っております。

 環境問題はみんなで取り組まなければならないことです。上道町内の各種団体で実行委員会を立ち上げて、省資源、リサイクル活動の一つとして、不用品のフリーマーケット、救援物資を送るという活動をいたしました。上道公民館で開催し、集まった救援物資をフリーマーケットの売り上げの一部で子供の肌着や靴下を境港に寄港してきた北朝鮮の船に託したこともあります。これもいろいろ事情があって現在は行っておりません。フリーマーケットは、ブルエコ主催のイベントのときに出店し、その収益を活動資金といたしております。

 会員は毎年ふえてきましたが、メンバーはボカシづくりが中心になってきましたので、このままでよいのか、もう少し何かできることはないか、ただし会員に余り負担をかけると会員のほとんどはEMボカシをつくるために集まってこられる方が多ございます、その活動参加者が減るじゃないかと思いながら、月1回のボカシづくりを続けていました。

 それと、他の地域で活動をしてる団体との交流会、研修会の取り組み、岡山県勝田町の取り組みを紹介いただきまして交流いたしましたときに、ボカシづくりで町民が元気になり、一つの面として健康保険税が少なくなったということを聞き、町民が元気になったボカシ堆肥でつくった野菜を学校給食に取り入れてるということも聞き、まち全体の取り組みができてることも知りました。公民館報等で会員を募集し、できるだけ多くの人たちに生ごみの減量化に取り組んでもらうということにはどうしたらいいのか考えているときに、全国大会の情報をいただきまして、会員と2名で京都大会に行ってまいりました。そして、全国の取り組みが環境問題は女性たち、一般市民というものだけでやるもんでない、官、民、業でしていかなければいけないんじゃないかということを気づきました。

 生活排水というものを考えましても、合成洗剤が川や海の水を汚すことは今までだれでも知ってることだったんですけど、私たちの公民館まつりなどで粉石けんを配布し、生活排水で海や川を汚さないように少しずつ取り組んできましたが、米のとぎ汁を利用して、そのまま流せば汚れの原因になるのにEM活性菌を利用して米のとぎ汁発酵液をつくって流せば、非常に悪いものが廃液を浄化することを聞きました。また、EM活性液は利用方法がいろいろあることを知り、環境をよくするために自分たちだけするのではなく、少しでも多くの仲間をつくっていくことがとても大事なことだと感じました。

 これからの活動の方向、他の地域にも広げみんなで取り組んでいくようにしようと思います。現在、市役所の緑と文化のまちづくりの助成を受けてごみの減量化と環境の浄化を市内の団体に向けて働きかけています。福定町に福定町EMの会をつくってもらい、定期的にボカシづくり、活性づくりに取り組んでもらってきております。私たちEMの会は、機会のあるごと情報を提供し、ごみの減量化の推進、生活排水の浄化のためにEMボカシづくり、EM活性液づくりを希望のある人たちに協力していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

○毎熊氏 ありがとうございました。

 なかなかチンって鳴らし切れないですね。今度からは厳密にいきたいと思います。

 では、市長さんに活動報告というのも変な話ですので、よろしければ市長さんの方から今回の趣旨ということもありますし、言ってみれば民への期待みたいなことをまずお話しいただければと思いますけども、よろしいでしょうか。

○中村市長 今、それぞれの団体の代表の方から活動内容を拝聴したわけでありますけども、本当にその取り組みに非常に敬意を表する次第でございます。

 私も市政を担うことになりましてもう3カ月がたちました。幾つかシステムの運営に当たりまして掲げている事項がございますが、その中で一つ、一番大きいのが市民参画の市政を推進しようということでございます。これまで市民参画はなかったかといえばそうではないです。行われていたんですが、まだまだ足らない、不足しておる、そういう観点に立って、私はこういう市民参画の市政を推進しようということを掲げさせていただいたわけであります。まさに協働のまちづくりもその一つであります。

 ただ、市民参画といっても、そこに市民の皆さんに何も取り組む課題、まちのこともわからない、そういうことでは市政、行政に対して興味を持たなければ、関心も生まれるわけがないわけです。そういうことで、今取り組みをしておりますけども、まず行政のあらゆる情報をとにかく市民の皆さんにつぶさに、いい情報も行政にとって悪い情報もとにかくすべてお知らせをしていく、今、一つそういう取り組みをしているところであります。そしてまた、いろんな行政には仕事がございますが、そういう仕事であるとか課題につきましても市民の皆さんの中へでも出かけていって、そういう説明責任を果たしていくいう取り組みを、今あわせてやってるところでございますし、ただ行政からの一方的なそういう情報提供をするということにいかないわけでありまして、この点についても地域や団体に出向いていかせていただいたときに、市民の皆さんから声を聞かせていただいて行政に反映をしていく、そういう取り組みをしているところでございます。

 ちょうど今、この協働のまちづくりの推進指針というものを、たたき台をつくっておるところでございます。近く市民の皆さんに参画をいただいて、一緒に考えて協働のまちづくりをどう進めたらいいか、そういうものの大もともきちんと今つくっていきたいと、このように準備をしているところでございます。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 それじゃあ、一通り自己紹介兼ねて活動報告をしていただきましたんで、これからは一応討論という形でやっていきたいと思います。最初は僕が指名させていただいたりもしましたけども、次からは、是非討論者の方にお願いしたいと思います。この後、フリートークですけれども、大きくは2つの論点をお話ししていきたいなと思います。

 一つは、協働を進めるというときに、やっぱ民の側もある意味ではやっていかなくちゃいけない。それから、今のままじゃあ動かないかなというのもあるかもしれませんし、逆に、期待ができるってところがあるかもしれませんので、その民の問題ですね。まずはお話をしたいなと思うんですね、それが1本目の柱です。

 2つ目の柱としましては、行政がやはりやっていかなくてはならない、あるいはやら     なきゃいけないということがありますので、そこは行政が取り組んでいくべき課題をお話しをしたいと思います。

 もし時間があれば、その2つをトータルして今後のまちづくりを総体的に議論ができればなと考えております。

 ということで、まず1点目。先ほど市長さんからありましたように、行政も情報公開をまずやっていこうじゃないかということで取り組みを始めたということでした。これは民の側も公開された情報をきちんとつかんで、あるいはその公開に基づいて自分で何かをしようと思う、そういったことが必要になってくると思うんですけれども。

 まず最初に、先ほど奥森さんから、恐らく遠慮をされたのか短い時間でお話しになりました。まず、お聞きしたいんですけれども、行政の取り組みも大事ですが、境港の民の状況というかですね、そういうことについてどう思われているのか、あるいは奥森さん自身の御活動から、何とかしたいというようなことをお話しいただければなと思います。

 どうぞよろしくお願いします、奥森さん。

○奥森氏 私、各県に行く機会がありまして、まず境港市を外から見た場合っていうことをまず皆さんに、おわかりになってる方もあるかと思いますけど、非常にコンパクトなまちなんですね。また、自然も非常にある。空港も近いという、非常に何ていうですか、やりやすいっていわれる形、そして3万8千人というまとめやすい市という。それから、そういう思いからしますと、非常に市民の、何ていうんですか、考え方等については非常にわかりやすいと思われます。米子市と比べれば全然違ってきてます。やっぱりそういったとこがまず見受けられる、ある意味ですね。今言いましたように、皆さんの意識改革というのは何ぞやということが問題になるんです。意識改革は行政だけじゃございません。僕はやっぱり市民が皆さんの手で境港市を守るんだという、そういう気持ちがあれば、私自身は何かできるんじゃないのかなという、だからその点について、これも私自身も皆さんに振り返りたいということがまず言いたいことであります。

 それから、もう一つは、私自身が活動をしておる姿の中で、やってることは皆さんと同じようなことなんです。教育、子供ということを考えれば、私のここのプロフィールにも書いてありますけれども、やっぱりこれは大人じゃないですね、やっぱり子供から大人へという、やっぱりここが一番大事だというふうに考えてます。そのためには、やっぱり自分自身も頑張らなくちゃいけない。ところが、自分自身だとか、ああいう一人の力というのは知れてます。

 こういう、私はものを持論にしてるんですが、言っていいですか。今ごろの子は、物はあっても夢がないんですね。ところが、我々の時代、私も50前ぐらいになりますけども、55や56の方というと就職、非常に高度成長があったかもしれませんけど、まだそれでも物がない、でも夢があったなと、やっぱりこのことが非常に大事なことだと思いますが、逆に考えれば境港市を見れば何かしてるか、環境としてはそれがものすごく難しいんです。だけど何ができるのか、それを私は皆さんに問いかけたいと思います。

 まあそのぐらいの話です。申しわけございません。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 先ほどお話しがありましたように、みんなで守ろうっていうような意識をぜひみんなが持つといいなあと思います。意識改革は民の側にも必要だというお話しでしたけれども、果たして意識改革というのをどうやれば生きるのかなあということになります。少し現実的な問題になろうかと思いますね。ですから、それはまた奥森さんの方から後でお願いしたいと思いますけども、それじゃあ、どなたかお三方の中でおっしゃっていただけませんでしょうか。

 今、足立さんと目が合いましたので、よろしくお願いします。

○足立氏 意識改革、民っていいますか、市民、住民の側の意識改革っていうことを今おっしゃったんですけれども、私自身、おはなしポケットの会の活動っていうのは単に市民のある有志が集まっての活動かなっていうふうに思っておりましたが、それもNPOの活動に準ずるんだよっていうことを言ってくださった方がいらっしゃいまして、ああ、そうなんだっていうふうな思いをいたしました。

 先ほど、毎熊先生も御講演の中で、まちづくりの新たな担い手の登場としてNPOということを説明してくださって、いろいろしていきますと、少しもう広くとらえようとおっしゃってくださって、小さな小さな本当にグループ活動なんですけども、NPO的な活動をしてるんだという思いを持ってこれからは活動していくっていうことを。そうするとまた活動のエネルギーも少し違ってくるかなというふうな感じがいたします。

 それと、もう一つは、市長さんがちょうどいらっしゃるのでお聞きしたいなと思ってることがあります。市長さんは、風格のあるまちづくりっていうふうにおっしゃいます。それをお聞きした私は、私なりにイメージを広げますと、風格のあるっていうことは歴史を大切にし、文化の薫りの高い、そして子供たちへの行き届いた教育が行われるまちっていうのをとてもイメージしてしまうんですね。そして、そういうまちづくりを可能にするのが私たち市民の連帯とか連携とか、地域での仲間づくりっていいますか、そういうことと、それから経済面の自立と発展っていうことがあるかと思うんですね。それぞれ歴史を大切にする、文化の豊かなまちにする、子供たちへの行き届いた教育、子供たちへのサービスを豊かにしていくっていうこと、それから地域の連携、連帯を深めていくっていうこと、それから経済面も豊かに自立し、発展させていくという、それぞれに私たち一人一人が自分のできるところで力を出し、知恵を出し、官民一緒にやっていくのが、これが協働かなっていうふうにとらえています。

 私自身、個人的な話になりますけども、じゃあどういうふうな考え方でこれからの協働のまちづくりで何ができるかと考えてみますと、やはり子供たちが豊かな文化的風土の中で育っていくような取り組みをできたらしていきたいなというふうに思います。本当に早急に、みんなで考えながら取り組んでいかなければいけないなと思ってることが2つあります。それは、やはり子供たちにとっても私たち大人の本当に生涯を通じてのことです。赤ちゃんからお年寄りまでにとって大事なことは、やっぱり図書館の活性化かなっていうふうに思っております。図書館を中心にした教育や文化が豊かにだんだん広がっていくということ、本当に今、境港市の図書館は県内でも市立図書館としては結構ちょっともう少し頑張らないといけないかなと思うような状況にあると思います。

 それともう一つは、今ここで私たち話をしておりますが、この文化ホールや市民会館の今後の運営をどうしていくかっていうことが、もう18年には指定管理者制度でここの運営を決めていかなければなりませんけれども、そういうことを協働のまちづくりという視点の中で官民知恵を絞り、力を出して、汗を流し合って、本当に早急に考えていかなければいけないなと思ってます。

 もうここにいらっしゃる皆様、どうぞ御一緒に本当に力を出し合って、子供たちが境港で生まれてよかったなと言えるようなまちにぜひしたいなというような思いが今いっぱいしております。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 お話の中で、市長にお尋ねしたいということがありましたけども、また後で行政の課題みたいなところでお話をいただくことにして、少しお話を戻しますと、要は市民の側のではどこがどういうふうに意識改革をしていければいいかなということで今テーマにしていたんですけれども。そこでお話聞きながら思ったのは、実はそれは大して難しいことでもないのかなというのを感じたんですね。恐らく皆さんそうだったと思いますね、例えば奥森さんなんかも、我が海をきれいにしたいといいますか、思いだということをおっしゃいました。また、先ほどのたすけあい平田の熊谷さんも、とにかく困ったことがあってできたんだと、それを何とかしなきゃいけないと思って立ち上げたっておっしゃってました。先ほどの足立さんの話もそうだと思うんですね。ですから、実は自分の抱えてる問題、現実の問題ですね、それにリアルに関心を持つということが実は大事なんだなと、で、何かを始めていくというのが大事なのかなと思いましたんですね。

 ですから、僕はNPOって実は例えば英会話サークルとかだって考えたっていいんじゃないかと思ってるんですね。例えばお母さん方が集まる英会話サークルがある、これは通常NPOって呼ばれないですね、なぜかというと自分たちの英会話を向上させようという集まりですから、人のために別になってるわけじゃないと言われるんですが。ところが、お母さん方が一たびそういう集まりに出ると、恐らく子育ての話なり、やれ今度の市長さんはこうだとか、そういうような話をしたり、恐らくされるんですね。すると、そこへきっかけが生まれるわけですね。そこから、じゃあ子育てを取り巻く行政、納得できんかったらしようという、第一歩が生まれる可能性が非常に高まる。だけど、大変なことだと常々思ってるわけですけども、そういうふうなきっかけというのは実は意外と簡単なとこがあって、むしろNPOなんて遠い話だなあ、ボランティアちょっとしんどいなとかいう心が実は問題なのかなというようなことをお聞きながら思ったというとこですね。

 相当、かなり強引に結びつけていきますけれども、そうはいってもやはり一人じゃたかが知れてる、あるいは自分なりにやってみても、自分たちやっても限界があるんですね。ですから、通常、島根の場合ですと、何がないかっていうと、民間の側で民間を応援しようっていうふうなNPOって、実は島根にありません。役所のつくったのはあります。都会にはNPOを応援するNPOが実はあるんですね。ところが、きょう伺って、実は恥ずかしながらきょう初めて知りましたけれども、先ほど吉岡さんのお話し聞いてると、「Go Go NPO」ということですね、NPOを応援しようっていうNPOの活動をされているということです。ですから、僕はそれに非常に興味を持ったんですね。実際はどんな活動をされているのか、あるいは困っていること、あるいはこういう可能性があるっていうようなことをお聞きできればなと思いますので、よろしくお願いします。

○吉岡氏 「Go Go NPO」なんですけれども。全員今ここの会場におります。それで、NPO活動にかかわっている方たち、法人格をとられている団体の方、私たちのように法人格は持たないけれどもNPO活動をしてる者たちほかが個人的に集まりまして、自分たちも困っていますので、それをどうにかしたいということで2年前に立ち上げました。一番最初に、島根県の方から応援に来ていただきまして、専任の皆さんと勉強会を開催しました。その後、その4名の中の2名が活動がなかなかできない状況になりまして、1年ほどですかね、休憩をしてたんですけれども、去年の、ことしは2回目なんですが、NPOサロンという形で活動の再開ということにしまして、今回2回目を11月20日、21日にやるということです。

 それで、どなたに聞いてもといいますか、NPOを自分たちでやっている人たちですので、支援したいと思って立ち上げて一生懸命地道な活動はしてるんですけれども、当然限界があります。去年のサロンを開いたとときに、県の方から協働推進室の方が来ていただきましていろいろお話をしたんですけれども、県の方でもNPO活動が盛んになるというような方向でやってますので、私たちの活動を全県的にやれないかなんていう話をされたんですね。でも、それは全然無理ですって、鳥取県横に長いですから、鳥取まで行って例えばサロンを開催するなんてのはできません。考えてみますと境港市内でやるのが精いっぱいで、西部地区でやれと言われても難しいんじゃないかなと思います。

 それで、みんなそういう感じで、実はこれつい最近でしたっけ、先週ですね、そういうNPOを支援するという、NPO同士で横のつながりをつくっていこうという人たちが集まりまして、とっとりNPOネットワークというのが実は立ち上がりました。これは、取っかかりのところは緩やかなつながりで、若い人たちが結構いますのでインターネット上で文章を書いて問題を話し合ったり、自分たちの活動を紹介したり、こういうことがしたいんだけどあなたたち手伝ってもらえませんかというようなことを話し合えるような会です。ですから、私たちとしては、「Go Go NPO」としては全県的な会ができて、私たちがこの境港で頑張れるというような形になるととてもいいなと思っております。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 先ほどの話を聞いてて思ったのは、やっぱり非常に皆さん大変だっていうことですね、お忙しいですね。そこで一つ気になるのは、要はスタッフの問題ですね、それが気になるんですけども。これは、また大西さんにお聞きしたいと思いますけども。それに加えて、実は参加とか応援とかいうのも、実はやっぱり心の、気持ちの話になりますけども、非常に重くとらえられ過ぎてるんじゃないかという気がしますね。参加とか応援とかいうと、何となく自分が駆けつけて汗を流さなきゃいけないとかいうような感じしますけれども、そうじゃなくて、要はお金を出すとか、声をかけるとか、そういったものすべて参加、応援かなあっていう、そういう気がしてきて、まずやっぱり気を楽にすることが大事かなというのをちょっと思ったんですね。

 で、さっきのちょっと飛ばしましたスタッフの問題ですけど、先ほど大西さんのお話を聞いておりましたら、会員がふえてきたのはいいけれども、その会員さんの間でも負担というのも気になるところであるというようなお話がありましたと思います。熊谷さんのお話のときも、やはり会員がやはり調整をするのが大変だったと、つまり好きな時間でできる限り配慮したいというのが熊谷さんの話だったと思うんですね。

 そしたら、実は大西さん自身も、プロフィールなんかを見させていただきますといろんなことをされておりますね。ですから、みんな御自身の負担も、何か時間配分なんかも含めてそこら辺のことをお話しいただければなと思います。よろしくお願いします。

○大西氏 今私が言いました心配の部分は、立ち上がりのときはすごく立派な省資源、リサイクル何々活動というふうにうたって始めましたが、活動してる間に集ってきてた人たちが基本的に自分たちが維持するというと変ですけど、ボカシでつくった野菜を自分たちが食べて自分たちが健康になるという発想の人がほとんどに近かったです。ただ、私が求めるものはもう少し広く大きくしていきたいなという思いを持ちながらきましたが、自分が思うことは構わないわけです、何ともないんですが、人を動かすということになりますと、今言いましたように本質的に持ってない人をそちらの方に向かせる、それは大変です。なかなかです。ただ、始めたことはずっとやっていかないけませんので、会が小さくなることは望みませんので、まあいいか、まあいいかと言いながらずっとやってきました。

 ただし、今現在、自分自身も情報をたくさんいただきましたが、会員の中で意思     あるものは残ります。その人たち私の見方ですけど、この人ならばという人を何人か今探して、その人たちにチャンスを与えるようにしてます。自分だけでなしに仲間が同じ思いを持ってくれるということはとても強い形になりますので、京都に行ったり、四国の方にも、四国もすごく環境活動が進んでるところです、そちらにも4名で行ったこともあります。活動をしていきますときに、負担っていうのがたくさん本当にあります。ただ、それを考えてたら後退しますので、そこの組み合わせがとても大変。で、私たちのもう一つ抱えてる問題で……。いいですか。

○毎熊氏 どうぞ。

○大西氏 問題は、活動の場所です。私たちの活動はボカシという米ぬかを使って、水分を使ってする活動ですので場所が限定されます。ことし、幸い、今、上道公民館ですごくよくしてもらって活動しておりますが、何分会員数が多いもので手狭になってます。車庫とかガレージのようなものがあったらねって言いながら探しながらですが、なかなか見当たりません。これから、運動を進めるためにはちょっと分散型にしていかなければ、会員が境港市に散らばっておりますので分散型に持っていかなければいけないなと思いながらの活動ですし、今は畑のことしか話しませんが、中海じゃないかと思ってます、今。中海をやはりきれいにしなければ、境港市の地元の漁師さんたちが生活が潤っていかないんじゃないかという気持ちを持っております。ただ、生活排水だけが原因ではないかもしれませんが、この近くの漁師さんで小舟で朝出て帰ってくる人たちの漁が少なくなった原因の一つは、私たちの生活排水も何らかの責任があるんじゃないかという思いを持っておりまして。私たちはEM菌を使ってますが、これが最良とは思いません。それより何かいいことがあれば中海を浄化して、きれいな水にして、中海にボラっていう魚がいるんですが、私たちが小さいときは境のボラは食べれんぞ、臭いぞって言われてたんですけど。その     ボラが食べれるようになれば、この地域で頑張ってる漁師さんたちも何かうまくいくんじゃないかという、こじつけかもしれませんけど、そういう発想を持っていますので、活動は少し広げていきたいなと思っています。

○奥森氏 今大西さんが言われたことは、全く皆さん知らないで使っとると思いますが、実は私ども中性洗剤、皆さんが昨今使ってますよね、弱酸性とかいう、あれ必ず下水道を通っておりますね、処理できないですね。大体水と炭酸ガスが使われます。ということは、最終処分場から出てるもんでわかるんですが、泡が出てます。この泡は合成洗剤なんですね。で、合成洗剤は酸性を押し上げております。環境ホルモンという問題が出ています。

 実は境港市の海もかなり汚れております、これはもう我々のデータでいうとわかってますけども、なかなか非常に大変と思います。その原因とすれば、市長さんが悪くはないんですが、下水道の完備がおくれたのかどうかわかりませんけど、そういう問題もまたあるし、これも皆さんの意識がないという。今、大西さんが言われたようにボカシ、我が家で実は私どももつくっております。

 NPOというのはあくまでもこれはボランティアではありませんので、ある程度収入がないとやれないというのもあるもんですから、ずっとその事業形態を点検したりするのは企業家だと、企業の話だよということでちょっと抵抗してる部分があったんですけども。私も考え方をまた変えて、自分は企業人ですからそういう考え方はいいと思いますけど、今はまだゼロから発信しておりますので、これはまた大西さんやちとお話をしながら、できましたら協力していきたいというぐあいに考えております。ありがとうございました。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 それじゃあ、もう時間が大分あれですので、もっと民の方の議論がやっていきたいところで、先ほど大西さんの方からお話があったことでいえば、やっぱり人をどう使うかっていうのは大事だなと思うんですね。やってみて、これは企業でもないんだし。行政っていう話は最近よく言われてますね。その話もちょっと聞きたいなと思っているんですけども、ただずっと市長さん話されてませんので、お願いしたいと思います。ここのとこの話が行政もやっぱりしっかりと支援なんかしていかなきゃいけないんじゃないか、あるいは変わっていかなきゃいけないんじゃないかというのが当然あるんですね。ですから、先ほど場所が欲しいというお話はありましたけれども、そういうことも含めて市長さんの方から、今、民に期待すると、その民を行政としても応援している、あるいは行政としてはこう考えますよというようなことがあると思います。その点について、お話を聞かせてください。

○中村市長 初めに、足立先生の方からお尋ねがあった点についてちょっとお話をしたいと思うんですが。私は、市民とともに風格のあるまちづくりを進めようということを掲げております。これのことですけれども、かつての安田市長のときに初めて緑と文化のまちづくりというのが掲げられて、それ以降、境港市にとってはかつてはこれをずっと継続してきておった。ただ、時代時代によってその施策の強弱というのはあろうかと思いますが、私はその考え方というのは今もはっきりしている、私はそのように思っております。

 風格のあるまちづくりのイメージということでありますけども、私は先ほども申し上げましたように、やっぱり自分たちのまちは自分たちがつくり上げていくというのが大体これはまちづくりの原点ではないかというぐあいに思っているわけであります。そういう面からいたしますと、本当にいろんな市民活動団体の方が本当に協力し合ってともに考えながらそういったまちづくりすべき、そういう気風がこのまちにあふれたときには、私は人間にも人格とか品格というものがあるように、私はまちにもその風格というものがおのずと出てくるんではないだろうかなと、そういう私はイメージでこのことを掲げさせていただいておるところであります。

 風格のあるまちというのは、文化、教育という問題ということもおっしゃられましたけれども、そのとおりであります。私どもの教育長も現職の校長から教育長に就任をしていただきました。大変斬新な考え方をお持ちの方であります。今、一生懸命教育機関の方と勉強しながら、特に教育、文化というものを積極的に進めていこうという話をしておるところであります。

 一つには、これも足立先生がおっしゃられましたけども、読書ということであります。今いろいろ話をしておりますのは、本当に乳幼児の段階から絵本により自然に本に親しむというところから始めて中学生まで、大人もですが、生涯読書というものをひとつ我がまちの教育の一つの柱として取り組んだらどうだろうかということを、今、真剣に話し合っているところでございます。そういうことでお答えになるかどうかわかりませんが、そのことを申し上げたいというぐあいに思います。

 それから、NPOへの支援でございますけども、私はこれもまちづくりに自主的に積極的に取り組まれる団体には積極的に支援をしてまいりたいということも申し上げております。いろいろと行政とNPOの関係につきましてはなかなか難しいところもあるんですが、例えばお互いにイベントを共催するとか、事業を共同でするとか、これがちょうど中間的な関係が保たれてるという関係にあるわけでございます。もう一つは、例えば補助事業を出しているという関係もあるわけであります。これはどちらかといえば行政側にその関係性が強いといいますか、行政側の方に近づいていく関係。あるいは民活という方法もあるんでしょうが、いろんな連携の仕方があると思うんですけども、私は一番大切なのはお互いの立場というか、そういう姿勢、そういうことをきちっと尊重しながら連携を進めていくいうことを基本に据えたいというぐあいに思っておりまして、私どもの、今、財政環境は大変厳しいものがございますが、そういうものについては予算をやりくりしながらでも何とか対応していくように今考えておるところでございます。また、指針づくりの中でいろいろ御意見をいただきながら、そのあたりも相談させていただきたいというぐあいに。

○毎熊氏 ありがとうございました。

  それじゃあ、あと5分程度ですけれども、最後にこれだけは言っときたいというようなことをぜひ、一人ずつ全員の方から聞くこともいいかもしれませんけども。じゃあ、手が挙がりましたので。

○足立氏 協働のまちづくりを本当に成功させていくための一つのポイントになるのかなって思ってるのは、私たちは民の立場、官の立場の皆さん、ここにも市の職員の方がたくさんいらっしゃって、こんなことを申し上げるとにらまれそうだなという気がしますけれども、でもこの場をおかりして、これからの境港市が本当に協働をしながらきちんと発展していくっていうことを考えて発言させていただきます。

 ことしの2月にまず会合を主催いたしましたときに、その関係で職員の方にぜひ御意見をお願いしますとお願いしましたら、その会合には市長さんも出られる会だったもんですから、いや、もう自分はそんなことを言えないっていうふうにして固辞されました。それで、そこにいらっしゃったちょっと少し若い方に、じゃあ、あなたお願いできませんでしょうかって言ったら、上司がそういったことで御意見を言われないのに自分が     ということでお断りになりました。そういう、この問題はお二人だけの問題じゃなくて、そのお二人が悪いということじゃなくって、やはり残念ながらそういう風潮といいますか、市役所の中にあるんじゃないかなっていうふうな感じを持ちました。でも、このように上の方がいらっしゃる場では物が言えないっていうような、ことはやっぱりちょっと取り除いていかないと本当の意味での協働のまちづくりはできないんじゃないかと、私はそういうふうに感じました。

 さらにはっきり言わせていただければ、市の職員の方は、市長さんの方を向いて仕事をするのではなくて、市民の方を向いて、市民のためになることだと思えば上司の人たちに対してもはっきりと御自分の意見を言えるような行政マンになっていただきたいと。そしてまた、そのような若い人をこれからは市長さんにぜひ育てていただきたいなって、そうであって初めて本当の意味での協働のまちづくりが実践できるのじゃないかなっていう思いです。

 本当に壇上に出させていただいたことを、ちゃんとというのはおかしいですけども、せっかく出させていただいたものですから、ぜひ意識改革をしていただきたいなという思いをいたしております。

○毎熊氏 ありがとうございました。(拍手)

 それでは、じゃあ市長さん、先ほどの足立さんの考えに。

○中村市長 今、足立先生から御意見いただきましたが、毎熊先生の講演の中にもサービス精神が欠けている、それから前例の踏襲にすぎない、態度が横柄であるんじゃないかとか、悪い面でのイメージであります。私は、市民参画を市民の皆さんに呼びかけると同時に、まず役所も変わろうということで、今、職員ともいろいろ話し合いをしながらその取り組みを進めているところでございます。きょうもたくさん会場に職員が参加しておりますが、私はやっぱり市政っていうのは市民から、市民の皆さんのお預かりしたものと、それはいわゆる私一人が預かったものじゃない、行政に携わる職員一人一人が市民からお預かりしていると、そういう認識に立って仕事をしなくちゃいけんこということを申し上げているところであります。

 今、例を挙げてお話しになりましたが、私どもは今後市民の皆さんのあらゆるところに出かけて、お話もし、皆さんのお話を積極的に聞いていこうと、これからそういう取り組みを徹底していきたいと思いますので、いま少し見といていただけないでしょうか。そのことだけ申し上げたいというぐあいに思います。

○毎熊氏 ありがとうございました。

 それじゃあ、奥森さん。

○奥森氏 足立先生が言われたのと、もう一つあるんですが、私どもは、企業人でございまして、やっぱり民間の皆さんにもお願いをしなければならん部分もあるんですけど、ここにも企業の方々が確かにいらっしゃってます。やっぱりここで企業としても本当にこれを考えていかなくちゃいけないなというのは、現実問題あると思うんですね。お金をもうけることばっかりじゃなくて、やっぱり企業もその地域にどれだけ奉仕するかっていうことも、これからは大事になってくることではないかなと。そしてまた、行政は確かに財政難であっぷあっぷですけど、最低の財政の維持管理は市民生活に必要なものは当然していかないかんのじゃないかなと私は思っております。

 また、NPO法人としても提案をしていってそれが現実のものになれるような、そしてまたそれが何かしらアピールになるような形のものができれば、市民の皆さんも喜んでいただいたり、県外の方が来て喜んでいただけるような、そういうまちづくりができたらいいなと、今、痛切に私は思っております。そのためにも、やっぱりこういう協働でまちをつくるという、こういうフォーラムを含めて、やっぱりもうちょっときょうはいっぱいになるんじゃないかなと、私本当に確信していたんですけど、ちょっと寂しいなというのが現状でして、宣伝、PRが足りなかったのかなと。でも、それよりもやっぱりそれだけ認識がないのかなという両極端で、ちょっと少しショックでございまして。EMさんと面識があってよくしゃべってますけども、そういうようなことでございますので、またよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

○毎熊氏 本当にありがとうございました。(拍手)

 それでは、今もうちょうど5時ですからもうすぐ終わりにしたいと思いますけども、僕も言いたいことがほんの一部も言えてないので、一、二分ぐらいちょっと話をやらせていただきたい。

 一つ思ったのは、最後、企業も変われよというのを奥森さんから言っていただきましたけども、やはりこの会が有意義だったなと思ったんですね。もちろん足立さんの方から行政に対して厳しいことを言っていただきましたけれども、これまでこういう討論会をやるとほとんど行政の文句に終わるっていうのがほとんどだったと思いますね。これが、いや、自分たちが変わんなきゃいけないなとか、企業もかかわろうと、企業だってもっと努力しなきゃいけないんじゃないかなというような声や御意見を、意見は非常にあると思います。ですから、こういう気持ちを皆さんが代弁していただくといいなと思いますね。これが1点目です。

 もう一つは、そうはいっても僕は行政学を専攻していて、行政に文句を言う学問なんですがね。だから勝手なことを言うんですけれど。実は、僕は行政の市民参加とかいうのは非常に大事だと思ってます。ただし、市長さんがそうだと申し上げるわけじゃないんですけども、最近は市民参加、市民参加ってよく言うんですけども。市民参加っていうのは行政にとっては実は楽なことなんですね、考えてみるとそのとおりなんですけどね。困った、じゃあ市民の皆さん、御意見くださいと。そのとおりだ、じゃあ市民の言ったとおりにしましたよ、これは責任をとらなくてもいいですね。自分の頭で考えないで、市民に聞けばいい。市民参加も大事だけれども、僕は市民の意見にできるだけ追従するということは違うんだってことを言ってます。

 先ほど、いみじくも市長さんはおっしゃいました、市役所は市民から預かったと     言われまして、僕はそのとおりだと思いますね。これは市民の側から申し上げると、市民は要はまちづくりのためにプロ集団を雇っているわけですね。税金という名のお金を払って雇っているんです。だから、プロであってもらわなきゃ困るわけですね、市役所の方々には。そして、市長さんにそのプロを監督する立場でおってもらわなきゃいけないと。ですから、我々は市役所にどんどん文句を言っていいわけですね、プロとして働けと。プロ意識を持ってやんなきゃいけないと、このように思ってるわけですね。

 それで、教育等の話もさせていただきましたけども、NPOというのは、行政が今お金がない、だから行政のサービスを補完するということだというふうによく言われます。これは一面は当たってるんですね、行政ができなくなったところを。ところが、よくよく考えてみるとこれは全く逆の話なんですね。きょうは下手な例えでしたけども、まちづくりというのは子育てに似ているというお話ししました。つまり、恐らく自分たちがまずやるっていうのが出発点だということを申し上げたかったんですね。そこから、そう考えるとどうかというと、実はまず自分たちでやろうというのが出発点であって、それが全部できなくなりますね、皆さんお仕事持たれてます、趣味もあります、子供とも遊びたい、時間もない。そのように限界があるわけですね、自分だけでは限界がある。限界があるときに、実は行政というのを僕らが雇っているんすね。だから全く逆ですね。だから、極端に言うと行政が実は市民の活動の補完をされ、サポートをやられてる。ですから、NPOが行政の補完だっていう人がいますけれども、全く逆で、行政はNPOや市民の活動の補完であると、これをぜひ行政の方々に、あるいは市民の方々に共有して持っていただきたいというのが最後に申し上げたかったことです。

 少しすっきりしました。済みません。最後は自分が言いたいことを言わせてもらいました。申しわけありませんでしたけれども、時間をオーバーしてしまいました。ただ、きょうの会は人数は確かに少ないなあと思いましたけども、きょう来ていただいた方々には多少なりともお土産を持って帰っていただけるんじゃないかなと思っています。

 きょうは、どうもパネリストの方、市長、客席の皆さん、ありがとうございました。皆さんの方から、申しわけありませんけども、さらに拍手をして終わりたいと思います。

○司会 コーディネーターの毎熊先生、パネリストの皆さん、本当にありがとうございました。どうぞ会場の皆様、いま一度大きな拍手をお送りください。

 皆様、長時間にわたりまことにありがとうございました。本日の発表、あるいは意見討論、これを踏まえて、だれもが一歩ずつできることを歩み出すことが自分たちのまちを自分たちでつくるきっかけになるのではないかと感じました。

 皆様にはアンケート調査についてお願いいたします。お配りいたしましたプログラムの中にアンケート用紙が入っておりますので、今回のフォーラムに関しましての御意見、あるいは御要望を御記入いただき受付の回収箱に入れていただきますよう御協力をお願いいたします。

 以上をもちまして協働のまちづくりフォーラムを終了とさせていただきます。本日はまことにありがとうございました。皆様、お気をつけてお帰りくださいませ。



※ ご不明な点等ございましたら、境港市総務部地域振興課(0859−47−1024)までお問合せください。

メールでのご意見・ご要望は、こちらから。